5月になり、真竹のタケノコの伸びが早い。
週2回とりに行っても伸びきっているのが多く、食べられないので引き倒してくる。
知り合いにかなり配ったけど、まだまだ出てくる。
自然のありがたさ。
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ただ、タケノコはアク抜きに手間がかかると敬遠する人も多い。
手間暇かけるより、店に行けば、タケノコ惣菜はいっぱいある。そこで買ってくればいい。多くはそうしている。
私の子どもの頃、おかずは季節ものがほとんどで、この時期はタケノコが多かった。
皮を剝くのが子どもの仕事、茹でる火の番も子どもの役目。
一連の事に幸福感は記憶にないが~、必然の時間だったかが‥ 客観的にみれば、自然との関係は合理的だった。
富について→マルクス流に。
使用価値生産の富。お金で買う他人が作った商品ではない。
竹やぶを再生しながら、採ってきて、多少迷惑な顔をしながらも料理してくれる妻・純子さま。
味もまあまあ、美味しい。
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「この自然との物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同の管理のもとにおくこと、すなわち最小の力の支出で、みずからの人間性にもっともふさわしい、もっとも適合した諸条件のもとでこの物質代謝を行うこと」(資本論)
自然との物質代謝を合理的に規制し、最小の力で、人間性にふさわしい、適合した諸条件、‥
よくわからないが満足感はある。
買ってくれば早い。値段によっては美味しい。一生懸命に作っている惣菜労働者も想像できる。
しかし、あえて、です。
商品経済でない物質代謝・経済・生産。必然の時間もまた豊である。賃労働にない、実に単純ながら創造的な労働、自然との通い合いがある気がする。
もうしばらくは、「また、採ってきたとねー もう!せんよー」と、ジュンコ様が困った顔をする日がつづく。
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