「江戸の選挙」から民主主義を考える(岩波)ーのつづきです。
もちろん江戸時代は、将軍が幕府を、大名が藩を、それぞれを通じて土地とそこに住む人々を統治する幕藩大生だったので民主主義や全体的な選挙はなかった。
しかし村は、百姓の農業経営と日々の生活を支える自治制度があり、農業生産物を上納させる基礎的な単位だった。江戸末期には?63000余の村があったようだ。
著者は柿崎明二氏は、様々な歴史資料を調べ、村役人の選出が、時を経るごとに、世襲、話し合い、推薦、入札(選挙)、くじ引きなどで行われている地域を紹介している。
1695年、山城国久世郡寺田村(京都府城陽市)の宇治組で、庄屋の後継者を年寄りによるくじ引きで決めようとしていた記録がある。
現在でも、「くじ引き民主主義」が見直されているが、これは代議制民主主義が機能不全だからだ。
江戸時代は、身分制度で遅れた封建時代で、明治以降が近代として進歩した教えられてきた。
だが江戸時代は、他国のように国内の紛争や内戦はなかったし、外国との戦争もなかった平和な時代だった。
柿崎氏は、選挙、投票権の拡大、監査制度、高度の自治、それをもたらす秩序内外の権利闘争--として、市民革命を経ないまま、近代の欧米と同じような民主的な傾向を持つに至ったを述べる。
その例として、「新潟明和騒動」を紹介している。
これを「パリ・コミューン」になぞらえて、100年も早いが「越後コミューン」と称されることもあるようだ。
ウィキをご参照下さい。(写真:新潟市の白山公園に建つ明和義人顕彰之碑-ウィキ)
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