サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

物質代謝の亀裂ー「必然の国」「自由の国」

  斎藤幸平氏の『大洪水の前に』のポルトガル語版の出版を記念して、ブラジルのエコ社会主義者サブリナ・フェルナンデスとの対談番組が放送されました。
 翻訳のせいなのか、私の理解力不足のためか、わかったようで分からないようでわかったような動画でした。
 でも、斉藤氏の『大洪水の前に』は読んだので少しは分かったかな。

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 時々この本を開いては、いろいろ考えているところです。
 エンゲルスマルクスの自然論の違いなど。(そもそも訳が違いますけど)
「自由の国は、必要や外的な合目的性に迫られて労働することがなくなるところで、はじめて始まるのである。つまり、それは、当然のこととして、本来の物質的生産の領域のかなたにあるのである。[…] 自由とはこの領域のなかではただ次のことにありうるだけである。すなわち、社会化した人間、アソシエイトした生産者たちが、盲目的な力としての自分たちと自然のとの物質代謝によって制御されることをやめて、この物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同的に規制し、自分たちの共同的制御のもとに置くということ、つまり、力の最小の消費によって、自分たちの人間的本性に最もふさわしく最も適合した条件のもとでの物質代謝を行うということである。しかし、これはやはりまだ必然性の国である。この国のかなたで、自己目的として認められる人間の力の発展が、真の自由の国が始まるのであるが、しかし、それはただ土台としての必然性の国の上にのみ花を開くことができるのである。労働日の短縮が土台である」(資本論第3部草稿 MEGAⅠⅠ/4.2.838)
f:id:adayasu:20200604192534j:plain:w200:right これまでに読んだ同じようなマルクスの草稿だけど、労働者搾取の解放の立場からのみの解釈と、自然との関係-「物質代謝」の観点を中心に考察しているのは、かなり違う感じがする。
 私としては惑星の限界、危機を強く意識しているので、「物質代謝の亀裂」の考察が今日的にますます必要な気がする。
 「未来の社会」において、「労働時間の短縮」の意味することは、単に自由や個性の発展にとどまらない、「物質代謝の亀裂」を防ぐ、成長至上主義でない持続可能な共同体の社会も描いているように思える。
 当時のマルクスは、資本主義以前の持続可能性の高かった共同体の社会について研究している。