昨日、愚かな人物を登場させたが、今日の「朝日」1面、「妻子を殺されても選んだ赦し」の記事、対比して重い課題を私たち突きつけられた思いだ。
先の戦争で日本は、米軍と戦いフィリピンを占領し、敗戦までに111万人もの住民を犠牲にした。
戦争犯罪として137人が有罪となり半数以上が死刑判決を受けた。しかし執行されたのは17人、収監されていた105人は、恩赦で日本の家族のもとに帰された。
恩赦を決断したのはキリノ大統領。自身も妻子4人が日本軍によって殺害されていた。辛く重く苦しい選択だっただろう。
.
だが戦後の日本人は、この苦しい赦しの決断に応えてきたのだろうか?
極刑を免れた日本兵は、日本社会で果たすべき役割を果たしたのだろうか?疑問に思う。
多くの日本人は、戦争に至る歴史を知らず、アジア諸国民に強いた犠牲を認識していない人が多い。だから今や、憲法9条下でも、軍備拡大を許し、戦争準備を許す国民に成り下がろうとしてる。
植民地支配の罪を許さない文鮮明、韓鶴子らの統一協会は、日本に贖罪を求めながら霊感献金でカネをまき上げている。
その統一協会と自民党政権は癒着の構造にある。自国民に侵略戦争の歴史を隠しながら、日本の植民地支配の罪を問い、信者らに賠償させる統一協会と協力する政権党・自民党。
なんともいやは‥‥支配者が強すぎるのか、それを受け入れやすい国民性なのか?
社会学として何か、改善のヒントでも欲しいところ。