サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

騒ぎすぎ。新しい時代はやってこない。

f:id:adayasu:20181231150135j:plain:w300:left 騒ぎすぎと思う。
 今日で「〇〇時代が終わる」。明日から「〇〇時代が始まる」…と言われても、何も変わらない。テレビで連日連夜放送、何が変わるというのか?
 給料が上がるわけでもなく、社会保障が良くなるわけでもない。
 どちらかと言えば、日本は三流国に転落しつつあり、ますます貧しくなるのに、その自覚も極めて乏しい。
 とになく、上から「○○時代だ」と押しつけられるのはイヤな気持ちだ。
 多くの国が、とっくの昔に卒業した元号。国家の支配者・王様が、時間の支配を通じて、国民を支配・統治するために考えらた制度だからなおさらだ。
 今回、懸念すべき3つの利用を感じ取る。
 時の政権・権力による天皇元号の政治利用。
 天皇主権から国民主権に移ったのに、この制度を復活させ、法律として国民に押しつける。
 現憲法で統治者(支配者)は、国民が選ぶ制度になっているので、時の統治・支配者が権力作用として、天皇制の権威をフワッとした感じで利用しこの効果に浴している。
 次に主要メディアの商業利用だ。そもそも元号のなんたるか?を示さず、お祭り気分を掻き立て、去り行く時代を懐かしみ、新しい時代への表面的な「希望」を掻き立てる。テレビは特番を組みお祭り騒ぎだ。なんとなくおめでたい感じを演出して掻き立て視聴率をあげて稼ぎ時なのだろう。元号商法で、消費の対象となる。本来は、厳粛さがあると思うのだか。テレビでは本質論の議論もほとんどなく国民の知る権利に応えるべきメディアとしては問題だ。
 更に、国民による利用。主権者の何たるかを自覚せず、権力スジのマインドコントロールを受け入れ、めでたい気分、新しい気分に浸れる。さながら「自由からの逃走」だろう。
 貧しくなる日本・国民、諸外国に追い抜かれる現実を直視するより、「日本の伝統」の「誇り」にすがり、安心感を得てつかの間の「幸福」感にあやかるしかない。貧しくなり転落しつつある国の裏返しだろう。
 それに使いかってが悪い。私は昭和の生まれ。それから昭和は何年あって、平成が30年で、今は令和〇〇年だから…と計算が必要だ。様々な場で時や年齢を記入するが、ややこしくムダを強要する。
 一方、天皇家は、あまり騒ぎ立てず、お金も使わないで粛々とやりたいとの思いだろう。過去、政治利用の相互作用で侵略戦争に突入し、あやうく”お家のおとりつぶし”の危険性も経験した立場から言えば、権力とは距離をとりたいのが本心と想像する。しかし態度表明には「政治的権能を有しない」ため慎重さを求められる。天皇としては主権者・国民の「不断の努力」に期待を寄せるしかない。
 国民、特に天皇を崇拝する人たちが、その立場から深く自覚する必要があるのが皇室の持続性の問題である。これについては、明日に。