5日、第14回「平和を願う念仏者の集い」があり、中島岳志教授が講演されると聞いて行ってきました。
そういえば中島教授は、「熊日」にコメントを載せていましたし、
(過去ブログ⇒ 報道を自主規制させる「空気」 )「忖度(そんたく)についても、書いていました。
今回のテーマが「忖度」、今年の流行語大賞と目される言葉です。
私としては「忖度操作」としたいところです。
で、話は、フーコーが書いた『監獄の誕生』と「パノプティコン(一望監視施設)」、ということからはじまります。(写真:ウイキペディアより)
ベンサムという人が考えた監獄です。
目的は、①費用がかからず ②効率効果的に囚人を支配・監視する ③更生(服従)するためで、それを罪人の気持ちになって考えたそうです。
そのために囚人は、
*孤立した独房に入る
*囚人同士はブランドで見えない
*中央塔の監視者も、仕切りと投光によって囚人からは見えないような設計の監獄になっている。
効果として、監視者がいるのかどうかにかかわらず、囚人側からすれば、見られているかどうかもわからないのでので、いつも見られていると思って行動せざるを得ない。
その事が囚人にとって内面化し、殴る蹴るなど暴力を使わずとも、従順に従う事になるという。
このことは、学校や企業など、あらゆる応用されていると。
で、中島教授は、今の日本の「忖度」現象こそ、パノプティコン的な支配ではないか、と説く。なるほどでした。
質疑タイム。私も手を上げて質問しようとしたのですが、時間切れでした。
市民が進んで従属と支配を受けようとする「自由からの逃走」について、「強きを助け、弱きを挫く」、的な、今の日本の風潮について、聞こうとしたのですが、残念。
でも今の日本、抵抗が始まっています。そこに光を当てなくては。どうすりゃ?
独房の「囚人」に鏡を配って、一斉に監視塔を照らす。とか…。あと、勇気ですかね?
前川喜平さん。