なんだかわかりますか?
材料は、木、竹、稲なわ、泥壁。家です。
屋根は麦わらでした。
すべて地産地消です。
いや外国産がありました。
見えませんが釘、鉄の原料は外国産でしょう。
いつ建てられたかわかりませんが、相当にむかしです。
私は、ここで生まれて、中学頃まで住んでいました。
いや?畑で生まれたっけ?
いや産気づいたのが畑で、畑から帰って来て、産婆さんが来る前に産んだ、とか聞いた。
当時の母親、強かった。
考えてみると、いろんな意味で自然に近い。
11時すぎ、その母親が「寝られん」と言いながら出てきた。でもすぐに寝床にもどった。多分、寝たんだろう。
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これが全景。今は小屋になっています。
右側は、今でいうトイレ。貴重な肥料を蓄えるところです。玄関の横。
瓦が落ちそう。
縁の下、コンテナがあるところには、ニワトリが3〜4匹おりました。
放し飼いです。
1日、1〜2産んでくれるタマゴ、しょう油をたっぷりいれてかき混ぜて量を増やし、兄弟3人で、分けてご飯にかけ、食べるのは、ごちそうの方でした。
この家には、風呂がなかった。
今に比べれば貧しかったのでしょうけど、生まれ落ち、与えられた時代と社会と家族は選びようがない。
でも、子ども期、不幸ではなかった。今から考えると豊かだった。
自由で、たっぷりな時間が流れた。つつまれる自然、それが豊かだった。それが大切、ホント感謝する。天草仕事で、いま実家です。寝ます。