サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

大西熊本市長が市税投入の複合施設のマンション購入・・・

 今日の熊本市議会で共産党の上野美恵子議員が大西熊本市長が購入した桜町の複合施設の高級マンション購入について質問した。
 これは怪しい。
 市も国も税金を投入した複合施設の最高級マンションが事業を進めた市長が購入、、怪しい。
   抽選…… 怪しい。 
 マンションが入ったこのビルは桜町再開発事業として総事業費約777億円だった。そのうち熊本市は約441億円を負担している。そんなところのマンションを市長が購入、、怪しい。

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横須賀に石炭火力発電所を建設…

f:id:adayasu:20200613183039p:plain:right 「経済」7月号が「気候危機に立ち向かう」と題して、温暖化対策の特集号になっている。紹介したい。
 国連環境計画が発表した「排出ギャップ報告2019」は日本に対し、「排出し放題の石炭火力発電施設の建設を停止し、既存の石炭火力発電施設の段階的停止と、炭素から100%自由な電力供給のスケジュールを盛り込んだ戦略的エネルギー計画を発展させる」-と勧告した。
 気候危機を回避するうえで化石エネを転換し、急いで再エネにシフトすることが必要だ。しかし日本では、CO2を多く排出する石炭火力発電所を今なお新増設し、世界に逆行する事をしている。
 逆行も逆行の事態は、小泉環境大臣のおひざ元の横須賀市の石炭火力発電所の新設だ。
 「横須賀火力発電所建設を考える会」が中心になって反対運動に取り組んでいる。一般のニュースにはほとんどなっていない。
nocoal-tokyobay.net
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 安倍政権・環境省は、自治体の「気候非常事態」宣言--2050年にCO2排出実質ゼロをあげるよう促している。自治体が宣言をすることは良いことには違いないが、ならば日本政府がまず宣言をして、実際に排出ゼロに向かうべきではないか。
 横須賀の石炭火発建設を見れば、安倍政権が気候危機対策に本気ではないことがすぐわかる。「やっているふり」にごまかされず、自治体の宣言に中に、国も非常事態宣言を出すよう求めることが大事だし、自治体と同様に国に求めることが決定的に重要だ。
 https://www.env.go.jp/policy/focus_on_core_competencies/02_list_200311.pdf環境省:2050年二酸化炭素排出実質ゼロに向けた取組等

惑星の物質代謝の亀裂⑤ 資本論の完成形は?

 この本は、「マルクスの経済学批判の体系的意義は、エコロジーという要素を十分に展開することによってはじめてあきらかとなる」--これを証明すること。難しかったが、それなりに理解ができてよかった。
 マルクスは出版された本以外に膨大な草稿や書き込みや抜粋のノートがある。晩年の10年間に生涯の1/3ほどの分量を作成し、その半分は、農業など自然科学に関するものだそうだ。(新MEGA版--第4部門が大事とのこと)
 当時、問題になっていた土壌荒廃を招いていた「掠奪農業」、過剰な森林伐採が気候変化を起こし文明を持続不可能にしていた問題について、資本主義のもう一つの搾取、自然への搾取と収奪問題として考察されていたこと。
 しかし、これらの研究成果を「資本論には、十分には取り込むことができなかった。もし反映されていれば「物質代謝の亀裂」の考えが資本論にも反映され、資本主義が社会問題とともに、自然の問題、エコロジー問題にも及んでいたはず。
 「惑星の物質代謝」の表現が気に入ってますが本のタイトルは「大洪水の前に」です。まさに、豪雨と海面上昇の大洪水を起こさないように、どうするのか?
 今日の惑星地球の現状を知る由もない古い時代に、マルクスは最新科学を学びこれだけのことを考えていた。
 マルクスの自然観を現代的に発展させ、地球環境問題や持続可能な社会への理論的発展を、さらに現代マルクス主義者に期待したい。
 マイケル・ハートという人が、「地球をコモン」として対応することを示しているようだ。自然を、地球を私的所有ではな、共同所有に。今を生きる人間の共同所有ではなく、未来わたる生態系含む共有として。
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 もう少し知能があればと…私…。関心は強い理解力が弱く、まとめる力もない。
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惑星の物質代謝④ 疎外、労働と自然

 疎外。
 庭の農作業は、自分のための自分の家族の為の労働です。朝夕のちょっとした時間に世話をし、植物の成長を見守り、虫がわき、ツルの絡まりを気にし、受粉を気にする。
 自分の行為、自分の労働が実になり、自分の身になる即自的な喜びですね。
 でも、商品生産、資本主義的生産の労働は、自分が使うためではない。他人に商品として売るための生産であり労働。賃金を得るための労働で、愛しい作物でも、商品として形がそろっていなければ、美味しくても廃棄される。
 これでは、即時的、即自的な喜びは少ないし、自分のための労働のように自己の失敗を悔やみ、自己の成功に幸福を感じる事が少ない。
 これがため自然との関係で、一体感や依存感や畏敬の感が生まれず、自然をないがしろにしやすい原因かもしれない。
 自然との関係が疎遠になり、自然は商品の購入としての「喜び」となり、自然そのものとの一体感の幸福ではないのかもしれない。自然の一部、全体の自然に依存する人間なのに、倒錯した自然支配の「幸福」感なのかもしれない。自然疎外。
 自然は収奪の対象、人間の支配の対象であり、科学、技術はその道具。しか自然が有限であり、人間のやることが無限であるはずはない。必ず衝突する。
 昨年、大きく育った大ひまわりは多くの種を残した。種をばらまいていたが芽が出てこない。(F1種)買ってきてトウモロコシ、芽が出てこない。
 冬から5月初めまで実をつけてくれたサヤエンドウ。落ちた種から新しい芽がたくさん出てきて、いま大きくなりつつある。
 このところカラカラ天気でトマトもシオレ気味だったが、梅雨に入って雨がふり力を取り戻した。(写真は昨年)
 収穫物以外は埋め戻す、雑植、混植で虫を微生物に頼った、60%収穫の自然農法+自分で、自然を収奪せず、も自分も収奪されない、幸福に近づきたい。
 収穫……。うまくいかないかもしれない。でも疎外はされない。疎外しない。

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惑星の物質代謝の亀裂③ 気候変動

 「大洪水の前に」-斎藤幸平著は5章まで読み終えましたが、やはりむずかしい。
 でも、なんとなく、マルクスの晩年に向けての研究の方向が理解できてうれしいところです。
 環境問題の関連でマルクスは、初期の頃、疎外論を「労働の疎外」にとどまらず、「自然の疎外」にまで広げている。斎藤幸平さんはこの本では、順をおってマルクスの環境論を展開していますが、スッ飛ばして5章の最後の部分を紹介します。
f:id:adayasu:20200604192534j:plain:w200:right マルクスが晩年に近いころは自然科学や農業問題の研究に時間を割いて抜粋ノートなどを残しています。リービッヒとフラースという農学者の当時の最新研究や論争を読み進め、自然環境破壊問題に接近していたことは驚きです。
「地域における森林伐採は、とりわけ地域が非常に乾燥した、砂室の土壌からなり、あるいは、さらに、石灰質の土壌からなる場合には、気温を上げる顕著な原因として数えられる。---土壌の性状が降水量を制約するのであり、そのことから、ここで言われている気候上の影響が生じるのは自明である。植生に覆われた、つまり、樹木が生い茂った地域は、不毛な地域よりも、湿度をよりしっかりと保ち、太陽光によって熱せられることより少ない。こうして、樹木が生い茂った地域は降雨もより多く吸収し、それゆえ、その地域自身が涼しいだけでなく、周辺の暑い領域にも爽快な涼しい空気の流れを広める。気温と地表物質の様々な熱電動力が大気中の蒸気の分散をまったくもって変えるのである」(MEGA IV/18:622)と、」フラースの記述を自分のノートに書き込んでいる。
 フラースは、森林伐採などで、気候が変わり降雨が少なくなったことで栄養塩の補充が少なくなり農地にダメになり文明が荒廃していったことなどを研究してた。持続可能な農地や森林と気候変動など、現在に通じる問題提起が早くからなされていた。今は熱帯雨林の伐採・農地化、資源開発、森林火災など、一つの文明の消滅程度ではなく、人類全体の絶滅の危機にまで進行中だ。