今年7月、日本共産党は創立102年を迎える。
自衛隊は、今年で70年だそうだ。
30年しか違わないのか?と、不思議な感じがする。
対米敗戦後、5年後に警察予備隊を米マッカーサーが命令して警察予備隊から再軍備への道を進み、9年後に自衛隊が作られた。
それから70年の月日は、国民の意識をかなり変えてしまった。
米国の指揮命令下で、基地を増やし、兵器を買い、弾薬庫を作り、演習を繰り返し、住民避難訓練も行い、憲法に違反する法律も作って、他国と戦争準備を進めている。
今日の「赤旗」、内藤功弁護士・元共産党参院議員の話は説得力がある。
自衛隊の違憲論については、私も少し認識の変化がある。
若い頃は、9条、特に2項の関係で、言葉のとおりに単純に自衛隊は違憲と思っていた。
その後、13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利についてはー」は、なにより「生命」なので、国家が国民に保障すべき最優先、最大のものは、国民の生命なので、それが危機にさらされることは何よりも避けるべきこと。
このことから、「窮迫不正の侵害があれば‥‥」これに対処する必要があるので、必要最小限の自衛のための実力を持つことが必要との考えは、単純に論理的には否定できない、とも考えた。
だが、この理屈のもとで自衛隊は現実には、空母を持ち、戦闘機+空中給油機を持ち、日本国土内で地上戦を戦うつもりで戦車を持ち、米軍と共同訓練を行い、「軍」としての性格を強めてきた。残りは軍法を持たない事ぐらいだろうか。
これも単純に、自衛隊だけで、国内だけで完結していれば、一歩二歩、譲れば、受け入れてもいいかもしれない。
だが自衛隊は、歴史的にみてマッカーサーが端緒を作り、米軍が育成拡大し、米戦略に位置付けられてきた実際の「軍隊」となっている。
実質的に、日本のために実力組織ではなく、米国のための「軍隊」になっている。
有事の際の指揮統制権が、日常的に米軍が指揮・統制権を持つことになってきた。
指揮・統制権と言えば、統帥権を思い起こす。
大日本帝国憲法第11条(明治憲法)で「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」として定められていた権能で天皇大権の一つとされた。
国体が「星条旗国体」に移り、「米軍ハ陸海軍ヲ統帥ス」に変わったかのようだ。
戦前のニッポン国民と現在の日本国民のどこが違うのだろうか?
違いは、現在がより民主的で平和主義を掲げる憲法に変わった事だ。
これは、進歩なのか?
でもたたかいはつづく。つづける。