九三式水上中間練習機 K5Y2などです。(写真ウィキより)
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実は、天草の旧五和町に海軍の天草海軍航空隊があり、同機が配備されていました。
戦況が厳しくなり、海軍は沖縄に向けての特攻出撃がたくさん行われました。
そんなか、天草の九三式水上中間練習機まで神風特別攻撃隊として出撃命令が下り、昭和20年5月下旬に第1次攻撃隊が出撃、6月下旬には第2次攻撃隊が出撃して沖縄に向かい計8機16名が亡くなった。
特攻隊への改編、訓練中にも3名が事故で亡くなった。
このころの特攻機は、ゼロ戦でさえ殆ど米艦船に被害を与えることなく撃墜された。
フロートを持つ練習用複葉機に爆弾を積んで特攻・自爆攻撃、狂気の沙汰だ。若い命が無駄にされ、むごい死を強要された。
米軍は複葉機特攻機を撃墜を「七面鳥撃ち」とあざけ笑った。
そんな事をさせたのは誰なのか?
hikokikumo.net
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残念ながら、慰霊碑には、そんな本質的なことは書かれていない。
若い特攻隊員の死が無意味でなかったことを思い起こさせようとするだけだ。
若い死に意味を、持たせようとすることは、戦前の特攻自爆攻撃を肯定する作用を持つ。
特攻機の多くは米艦船に突入するどころか、途中で打ち落とされたれたりした、機体の故障などで墜落したものが多かった。
軍国主義教育・カルトに染められた当時の若者を責めることはできない。責められるべきは当時の軍指導者の連中だ。命令した彼らの多くは、戦後も生き残り、現在への米軍指揮下・一体の自衛隊へと、引き継いだ人も多い。
その自衛隊は、九州熊本や沖縄で米軍と共同訓練をしている。長距離ミサイル配備し、弾薬庫を造り、住民の避難訓練さえ行っている。台湾戦争で中国と戦うために。
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壺にはなんて書いてあるか?
大君の~~(天皇に対する尊称)
死して 甲斐ある命なりせば‥‥
とか書いてある。
米軍に自爆攻撃を余儀なくされた若者。今、蘇らせられたら、なんというだろうか?
この記念碑をどう思うだろうか?
戦争は死をともなう。死は誰でも嫌だ。死を悼む。
だから戦争は死は、美化する。
いま、米軍指揮下で中国と、台湾めぐり戦争する訓練を日常化する自衛隊に、亡くなった特攻隊委員たちは、なんと言うだろうか?
誰もが考えるべきだ。