サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

知覧特攻平和会館をたずねて

 先日のつづき。
 知覧の特攻資料館には初めて行った。
 同じ特攻の資料館の鹿屋や万世より、はるかに人も多かった。
 観光化されている気もした。
 館内に入ると、一クラスぐらいの中学生たちが年配の人の説明を聞いてメモをしていた。

 展示してある遺書や遺品や写真、ゼロ戦ほか、涙をさそうものばかりだ。
 しかし、なぜ、こんな理不尽な事になったのか?誰が作戦を考え、誰が命令を下したのか?など、戦争指導者の責任については、全くふれていない。
 結局、この資料館は、特攻作戦そのものを否定していないといえる。
 死者の遺影を前にすれば、悲しむ以外になく、特攻と言う非人道的な死さえ否定的に考える事を躊躇せざるを得ない。その思いにカムフラージュされてはならないと思う。
 20才前後の若い彼らには、本当の事を知らされなった。検閲があり遺書に本当の事は書けない。だから遺書に書くことが許されなかった思いこそ、記され展示されるべきだ。
 もらったリーフには、「史実」「戦争のむなしさ」「平和の大切さ」と書いてはある。
  しかしアジア諸国を侵略し、米英に愚かな戦争をしかけ、負けがはっきりしていても、特攻・自爆攻撃、玉砕、自決を強要した、狂信的な戦争指導者の責任を明らかにして、平和への誓いを立てなければ偽りしかならない。
 「わしも後を追うから…」といって若者を特攻に追い込みながら、自らは、ゆうゆうと生き延び人生を全うした司令官も多い。
「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」と記してありました。部外秘の文字も押されて。この元参謀によると、特攻機は離陸した後はずっと、無線機のスイッチをオンにしているそうなんですよ。だから、基地では特攻隊員の“最後の叫び”を聴くことができた。「お母さーん」とか、女性の名前もあったそうです。「大日本帝国万歳」というのはほとんどなかった」
「学徒出陣した上原良司氏(陸軍大尉。1945年5月、沖縄で戦死)の妹さんは、兄と仲間たちの会話を手帳に残していました。彼らは『向こうの奴(やつ)ら(=米軍)何と思うかな』『「ホラ今日も馬鹿(ばか)共が来た。こんな所までわざわざ自殺しに来るとは間抜けな奴だと笑うだろうよ』と言い合っていたそうです」保坂正康・毎日より引用

 資料館の特攻スライドは、欧米アジア侵略のあとを追い、日本自身が、アジア各国の植民地化をすすめるために、侵略戦争を行った史実を書いていない。
 間違った指導者の間違った侵略戦争の果てに米国との戦争があり、ずるずると戦争終結を決断できずに、国民をだましつづけた結果、自爆・特攻攻撃の悲劇がある。沖縄、広島、長崎など悲劇もある。
 彼らが生きていれば、なんと言うだろうか? 彼らが語りたいのは、真実だろう。