サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

宇垣纒ー玉音放送後の特攻と死の意味

 戦後70年の今年、戦争の犠牲になった様々な立場の人の死生観について、いろいろ考えています。
 先日、鹿児島県内の特攻基地を訪ねました。鹿屋基地の展示物にあった宇垣纒中将について書いてみたいと思います。
  海軍の様々な作戦指揮にたずさわった人で、敗戦が濃厚になった1945年2月には第五航空艦隊司令長官となり特攻攻撃を指揮している。
 作戦・指揮は、思い込みなどでことどとく失敗し、多くの犠牲をだしている。しかしこれは、他の司令官とさほどかわらない、日本の軍指導者に共通する事かもしれない。
 しかし、8月14日に日本はポツダム宣言を受諾して米英などに通告し、15日正午に「玉音放送」がされた6時間後、特攻攻撃に出撃した考えは、よくわからない。
 宇垣長官は、艦上爆撃機11機、22人の搭乗員を従えて沖縄に向け飛び立った。(3機故障で不時着、16人死亡)
 出発を前にし、他の参謀らから「死を決せられる気持ちは理解できるが、戦後処理や、国家的な責任の問題もあるため、なんとかとりやめることはできないか」と促されたが、宇垣長官は「武人としての死に場所を与えてくれ」と決行したようだ。搭乗員は、玉音放送を知らなかったという。
 戦争に勝った、終わったと祝宴をあげていた沖縄の米兵。
 宇垣長官が乗った爆撃機は、米軍テントを目の前にしながら、目標を外してしまってか?あるいは故意に外してか?海岸に激突して死んでしまった。
 もし無条件降伏通告後の攻撃で米軍に犠牲が出ていれば、怒りの反撃をくらい、日本政府は更に窮地に追いやられていただろう。(主にウイキペディアを参考)
 わたしとしては、願わくば宇垣長官に蘇ってもらい、感じる事を述べてもらいたい気がする。「鬼畜米英」に自爆攻撃までした相手米国に、今や言いなりとなって、つき従っている現状を。
 私が思うところ結局、責任をとれないわがままで無責任な人物となる。責任回避のための死への逃避と思える。また絶対に部下を道連れにする権利はない。
 同じく特攻隊の責任者格だった大西瀧次郎は、「終戦」翌日に、ひとり割腹自決を遂げている。
 こんな人物を自衛隊が展示室に示し、靖国神社も宇垣長官のコーナーを設けていることはどういうことだろうか? 
 戦争指導者の責任追及は皆無。戦前の考えを肯定しようとする動き、それは再生産されている気がする。