今日もブログを書いています。
みなさんに見ていただいて、うれしく思います。
それができるのは、私を産んでくれた母がいてくれたからです。
その母を産んでくれた人が、この人です。(孫)
1928年2月20日、次女を出産。
1929年の世界恐慌の前年です。
NHKでラジオ体操が放送された年でもあります。
昭和天皇が即位した年です。
31年は満州事変をおこした年。
「赤旗-せっき」が非合法で発刊された年でもあり、3・15で知られる共産党の大弾圧が行われた年でもあり、死刑も加わる治安維持法の改悪された年であり、
戦争にひた走る時代でした。
こんな時代に子どもを産み育てた人たち、苦労の連続だったでしょう。
産み、育てた子どもが戦争に行き、帰ってこなかった、そんな悲しい思いをした母親たち。
また、そんな子どもたちの多くが、他国でどんな非道なことをしたか… 犠牲になった人にも母がいた… そんな事まで知る由もない。
そんな被害と加害の悲惨な体験が憲法9条となって戦後の日本を形づくってきた。その原点をもう一度思いおこす必要がある。
とりあえず続いている平和、貴重、つづけたい。