「核抑止論」の虚構(集英社新書・豊下楢彦著)のつづきです。
「トゥキディデスの罠」二重の意味とは知らなかった。
フランスの古典学者ジャクリーヌ・ド・ロミイは、「怖れ」という観念が最も重要な役割を果たしているとしつつ、一方に「懸念」があり、他方に「恐怖」の意味合いが含まれていると指摘する。
トゥキディデスは、これを使い分けしていたという。
前者は「知的レベルの把握」で「良き怖れ」であり不確実性に対して賢慮を持って慎重な対処を促す。
後者は「情念のレベルに位置する非合理的」で、「愚かさによって抱いた怖れ」であって、これによって「暴挙へと衝き動かされる」ことになる、と。
「一人一人の懸念はやがて都市全体を恐怖に取り憑かれた状態にし、この恐怖という公共空間を利用して公共的判断を狂わせることが始まる」
戦争に向かう「政治的決定の態様」は、懸念を超えて恐怖が「撒き散らされる」「暴挙へと衝き動かされる」ところにあるという。
さらにトマス・ホッブスは、トゥキディデスの罠の核心は、一般的な「不安や怖れ」ではなく、それを政治指導者や識者が煽り立て民衆を狂気のように戦争に駆り立てる、とした。
そのとおりと思う。
現在、進行している「抑止力」を理由とした対立、煽るのは、政治家や軍指導者、さらにメディアなどである。
煽られないためには、どうするか? 主権者民衆は歴史と現実に学ばなければならない。
クモですが毒クモではなく、恐怖するに値しません。
ほんの4~5ミリ、部屋の中にいてしょっちゅうよってきます。
ふいにつぶしそうになるので畳をたたいて脅し、追い払います。
ハエや虫を捕食してくれる可愛いクモです。
「恐怖」、ゴキブリを見た時の人間の恐怖は過剰も過剰すぎる。
そもそもゴキブリのエサは人間が提供している。噛みつきも刺しもしないも知っている。
ゴキブリに対して人間は、カサカサと這い出てきただけで「キャー」「キャー」いいながら叩き潰そうとする。
どこか、誰かに、似ている?