サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

母の誕生日1928年2月20日-小林多喜二 死す

 今日、2月20日、母の誕生日。 私、母の誕生会を90才になって始めて行った。
 ちょうど息子、長女の二人も休みがとれて、ケーキ買って行って祝った。
 おそらく誕生会ケーキのろうそくの火を消したのは初めてだろうし、♪〜ハッピーバースデー 🎵ツーユー を歌ってもらったのも初めてかもしれない。喜んでくれたので良かった。
 古い写真を写しながらプレゼン。
 母の母は、竹上「ワリ」と言う名で、昨日の写真の人です。やさしい人でした。
 むかしの女性は、実に苦しくたいへんな思いを強いられたようだ。
 母の話で、「ワリ」さんは、どこに嫁に行かされるかわからず、監禁まがいの事をされ、本渡の本町から馬に乗せられて、わが坂瀬川木場に連れてこられたようだ。
 おそらく1900年頃だと思う。

 そして次女として、私の母が生まれた。そして私があり、子どもたちがある。
 母も、私の父のところに嫁ぎたくはなかったようだが、親が決めたことだからと、仕方がなかったようだ。当時の女性は、みんなそんな状態だった。
 だが、時代のなせること、不幸せの一生だったかと言うと、そうでもない。苦労はしただろうが、大半は幸福な人生であったようには思える。
 不思議だが、今の自由恋愛、離婚騒動、ややこしい軋轢に比べれば、ま、意外と…と思える面もある。と言うのは、人生の大半は寄りそって幸せになっているからだ。考えさせられる、取り決め婚。
  選択の科学−恋愛婚と取り決め婚
 とはいえ、あまりにも過酷だったのか、母は、私が生まれる前にうえの2人を連れて実家に帰った。説得があって、もどったようだが、帰っていなければ、みなさんが今日のブログを読むこともなかった。
 また今日、1928年は3.15の年でもある。圧制からの自由を求めた共産党員に大弾圧がされた年だ。
 また5年後の1933年2月20日は、共産党員の作家・小林多喜二がスパイの手引きで逮捕され、拷問されて虐殺された日でもある。 小林多喜二
 母、90才だが、幸いにも、目も良く、頭の方も明晰で新聞も読んでいる。苦労した分だけ長生きしてほしいと思う。
 実は、この小さな集落から15人もの戦死者が出ている。お宮の近くに帰魂碑がある。その中に、安達の名はなかった。幸運なことだ。私は存在しなかったかもしれないから。
 戦前・戦争の苦労、戦後の苦労を強いた時代。その強烈な反省から生まれたのが今の日本国憲法、改めて認識される思いだ。