「核抑止論」の虚構①(集英社新書・豊下楢彦著)のつづきです。
1961年、ハーター米国務長官から、イスラエルのディモナ原子炉は63年までに兵器用プルトニュウムを90㌔g生産する能力があると伝えられた、J・F・ケネディは、イスラエルの原子炉査察を求めた。
米原子力委員会の科学者が査察するためにディモナ原子炉を訪問したが、イスラエルは関連文書を渡すことを拒否し、写真撮影も地下施設もの見せなかった。
63年ケネディは、イスラエルに対し、核兵器保有も、その能力の保有も認めないとの書簡を送り、再びすべての核施設の査察を求めた。ところが、
ケネディは、その書簡から3カ月後に暗殺された。
政権を引きついたジョンソン大統領も、64年にモディナ原子炉の査察を行ったがユダヤ教の安息日として、前回同様に査察ができなかった。
実は、前年12月にディモナ原子炉は臨界に達し、66年にはネゲブ砂漠の近くで小規模の核実験をした可能性が高いようだ。
そして67年5月、イスラエルは初めて原爆を製造し、第三次中東戦争の前夜には2~3発の原爆を完成させたとみられている。
69年ニクソン政権時に、キッシンジャーは、すでにイスラエルは核兵器開発に成功しているかもしれないとし、「イスラエルの核保有が承知の事実とならない限り、イスラエルの核プログラムの国際的意味合いが問われることはなく、この場合、我々の目的は満たされる」と報告している。
ニクソンは69年、イスラエルのゴルダ・メイア首相と「核実験を行わないこと、核保有を対外的に表明しないこと、各能力で他国を威圧しないこと」約束し、米国は「ディモナへの査察を止め、イスラエルにNPTに参加するように圧力をかけることを止める」と合意した。
イスラエルのNPT不参加、核兵器開発・保有は、その後のインドやパキスタンの核開発を許し、北朝鮮まで事実上の核保有国となってしまった。
イスラエルの核開発を容認した米国のダブルスタンダードは、極めて罪深く、また現在まで世界を偽り続けている出発点となっている。

今年6月のイラン核施設へのイスラエルの空爆、科学者などの殺害、アメリカによるバンカーマスター(GBU-57を計14発投下)などによる攻撃・破壊は、主権侵害、国連憲章違反も甚だしい。
アメリカやイスラエルは、自分たちは核兵器は持つが、相手国がそれを保有することは、武力で阻止する実に身勝手な国だ。
このやりたい放題は絶対に許してはならない。
世界の世論は、イスラエルやアメリカ、核保有国を特別視して許している、これは放置できない。
民主主義国の国民ならば、こんな「やりたい放題」「自分勝手」を、自分の国家を野蛮な国だと自覚すべきだろう。
写真は、9月の入道雲。
核の「きのこ雲」を世界のどこにも起こさなせない。
その責任は核保有国と核抑止力の妄想にすがりつく国民にある。
核兵器禁止条約に参加する事、特に日本が次の参加国に。