サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

月次レビュー ー独立した社会主義雑誌-

 月次レビュー「独立した社会主義雑誌」に斎藤幸平氏の最近の本に対する批判が載っている。
 「ここ数年、マルクスの思想におけるプロメテウス主義の神話は、斎藤のような思想家たちによって、またジャコバン派の作家マット・フーバーやリー・フィリップスによって、幽霊のように再導入され、生産力/技術の役割の問題をめぐる両極端を代表している。その結果、マルクス主義生態学が成し遂げた多くのことを消し去る恐れのある‥」

monthlyreview.org

 言っている意味が良くわからない。
 前に紹介したジョン・べラミン・フォスターは「月次レビュー 独立した社会主義雑誌」の編集者で、「物質代謝論」を展開した米国の環境派のマルクス主義者です。彼の指摘はもっともだとも思えます。日本のマルクス主義の学者でも同様に「脱成長」コミュニズムを批判する人も多い。
 学術的には当然、マルクスがなんと書いたは、厳密であるべきです。立場や研究角度によって解釈も微妙に違ってくる。大いに議論してほしい。
 ですが私は思想家としての斎藤氏の考えに賛同的です。

theideasletter.substack.com
 上記、X斎藤幸平氏が海外のメディアに書いた内容の最後の部分を以下に引用します。

「脱成長とマルクス主義は相容れないと考えられていたため、これまで脱成長共産主義を提唱する人はいなかった。マルクスの後期の著作は、そうではないことを示していると思います。 多くの人は今でもそうは思っていません。フォスターは昨年のインタビューで、『マルクスが実際に脱成長と呼べるものを提唱したという具体的な証拠は見つかっていない」と述べ、脱成長共産主義の考えをマルクスに帰することは「非常に非歴史的』であると述べた。
 もちろん、マルクスはすべてを予想していたわけではありません。彼は自分の限界に縛られ、未来社会のビジョンを描ききれなかった。彼の考えを、彼と一緒に、あるいは彼に逆らって、可能な限り押し通すのは、私たち次第です。マルクスが彼の時代に言わなかったことを、マルクス主義者が今日言うのを阻止するのは独断的である。マルクスを読むことは政治的な行為であり、脱成長共産主義は、マルクスが今日再読する価値がある理由の一つである。
 マルクスは、自分の計画が未完成であることを知っていた。脱成長共産主義は、理論と実践を結びつけ、150年前の社会主義の従来のイメージを超えるものとして歓迎されると思います。そして今日は、資本主義が絶対的な限界に達し、地球そのものを破壊する恐れがあるため、脱成長共産主義の時です」

 
 マルクスは63才で亡くなった。あと10年15年生きて研究を進められたらどんなに良かっただろうか。
 病弱でありながら晩年、あれもこれもと、研究途上で、残念ながら自分の考えを仕上げられなかった。それらは未完成のまま「抜粋ノート」に未整理に残されている。なのでマルクスが何を模索し成し遂げようとしたのはか? 記録に沿いながらも研究者の解釈によるところが多いだろう。
 当時マルクスが懸念を示した資本主義による「物質代謝の亀裂」が、いま現実に、地球規模で、不可逆的になりつつあるスピードで起きている。もう間に合わないところまで来ている。危機回避には、持続可能な社会に急いで移行する必要がある。原因は資本主義なので、資本主義から脱する必要がある。
 その立場から考えて、地球と人間の現状認識の下、今、マルクスが生きているとするならどんな解決策を示すだろうか?
 私は斎藤幸平が示す方向を、マルクスなら更にマルクスらしい鋭い洞察と打開の方策を示すと思う。
 それは持続可能社会→定常経済・「脱成長(持続可能)コミュニズム」と同じ方向だと思う。

 そうでなくてもいい。
 マルクスが常に正しかったと思い込む必要は全くない。マルクスから外れてもいい。
 今の地球環境の破壊から、回復へと向かうことに役立つならなんでもいい。