斎藤幸平氏の論文-
「資本論」のエコロジーからあ考えるマルクスとエンゲルスの知的関係(経済理論第53巻第4号)-が面白かった。2017年1月なので7年前のこと。
とは言え理解の程度はわからない。書くとなるとなお難しい。
資本論をはじめマルクスの研究において、人間社会の生産で「物質代謝」論をどう位置付けるか? その物質代謝が資本主義的生産では、どんな矛盾、衝突が起きるのか?特に自然と人間の関係で。
断片だけ引用しておこう。
「マルクスによれば、エコロジー問題は根源的な生産条件である自然からの人間の『分離』から説明されなくてはならず、物象化に基づく資本の論理の社会的諸関係への浸透がいかにわれわれの思考・行動様式を根本から変容し、人間と自然の物質代謝を攪乱してしまうかを解明しなければならない」
「エンゲルスは人間と自然のあいだで行われる『物質代謝』が資本による労働の形式的・実質的包摂を媒介として、どのように変容、そして再編成されるかという1850年代以降のマルクスの経済学批判の根幹部分をとらえきれなかった」とする。
私が若い頃に学んだ「自由とは必然の洞察」→→「自由とは、自然的必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的自然を支配することである」(MEGAⅠ27/:312)
同時にエンゲルスは「不完全な自然法則の認識は、むしろ正反対の結果を生み、自然の『復讐』を誘発する」と警告する。
そしてエンゲルスは「自然の諸法則を認識し、これを正しく適用できる」この自然法則の意識的な適用こそが『自由の国』の実現と密接につながっている考えたという。斎藤は、これは『静的』論理展開だとし、マルクスは別の「動的」捉え方をしていたという。