サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

プロメテウス「マルクス解体」①

 斎藤幸平の「マルクス」解体の2回目を読み始めている。
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 難しすぎるので、少しわかった気もする最終章「脱成長コミュニズム」と富の潤沢さ---から少しずつ感想を書いていきたい。
 斎藤幸平は7章の書き出しのところで、「マルクスは革命は世界史の機関車である~」と言っていることに対し、ベルター・ベンヤミンは、「この革命とは、この列車の乗客、すなわち人間という種が非常ブレーキを作動させようとする試みなのである」と説く。
 ナイス! これは理解できる。
 地球環境の破壊を進め破局に向かっている人類が、今やるべき革命、しかも時間がないので急ブレーキをかけ、急ハンドルで危機を回避する革命。
 ペダルが折れるほどの踏み込んだ急ブレーキを多くの人々で‥。激突を避けるために。
 大量生産・消費廃棄社会を改め、地球の限界の範囲内に人間活動を制限する社会へのシステムチェンジ。人新世の革命を、斎藤幸平は「脱成長コミュニズム」だと提唱する。
 しかし、旧来のマルクス主義者は、この危機的状況に対応する方策を持ちえず、認識が浅いのか?社会主義社会の下で市場をコントロールし、技術革新をしながら持続可能な成長が可能と考えている。
 一方で脱成長の第一人者とされ、社会主義を主張していなかったフランスのセルジュ・ラトゥーシュが「次の時代のためにエコロジカルな社会主義のプロジェクトの諸目標と合致する政治形態を提案することが重要だ」と述べている事を紹介する。「成長なき社会主義」や「環境社会主義的な脱成長」などとして広がりを見せている。資本主義のからのシステムチェンジ+環境主義が大きく接近しているようだ。
 これらを踏まえ、マルクスの考えた資本主義を超えた社会について、斎藤幸平は、資本論を超えて、マルクスの最終的なポスト資本主義のヴィジョンを具現化するための試みようとしている。
 古いマルクスしか学んでこなかった私からすれば、大胆と言えば大胆だし、150年も前のマルクスが、どこまで考えていたのかわからないが、気候危機を回避したいと願う立場からすれば、大胆な発想だが期待が湧いてくるくる。
 考えるに、1つは、マルクスの当時も現在も、資本主義は同じシステムで動いているから。労働者対する搾取、自然に対する収奪は、資本主義の本質的な作用として変わらない。
 2つ目に、自然の略奪がマルクスの時代より深刻な惑星規模、地球システムの限界を超えているこの深刻な事態を認識しているかどうかが大問題だ。現状で推移すれば、物理の法則として破局は免れない。
 より良きマルクス主義者であろうとするならどう考えるべきか?
 私なら、マルクスが今生きていたら、何を研究し、どう考察し、何を書き、人々に呼びかけるだろうか?と
 今の地球と人間の状態、関係を見て、労働を自然との「物質代謝」と捉えていたマルクス、なんと言うだろうか?