日本大空襲「実行犯」の告白のつづきです。
敗戦は明白だったから東京大空襲以前に日本が降伏していれば、多くの市民の死は避けられたハズだ。
近衛上奏もあった。これを昭和天皇が受け入れていれば、ルメイらも大量殺戮者にならずにすんだ。
広島、長崎への原爆投下もなく、核軍拡競争も違った流れになっていたかもしれない。
天皇の立場は国体護持。敗戦でかろうじて天皇制は維持された。
天皇家としても象徴性になってよかっただろう。死の象徴にならず、慰霊と命を大切にする象徴の努力をされているから。
焼夷弾爆撃は、地方都市も及んだ。1945年6月17日、鹿児島市街地に100機を超えるB 29が夜間飛来し、大量の焼夷弾を落とし2000人以上が殺された。
その後、各地の地方都市も徹底的に焼夷弾をばらまかれ焼き尽くされ焼き殺された。
熊本市も7月、8月と空襲を受けたくさんの人が亡くなった。
愚かな戦争を誰が始めたんだ。反省しているのか?
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反省は、今へと続いているのか?
人は忘れやすい。
高齢者でなくても認知症に陥りやすい。
今また、相手国から、今度はミサイル攻撃を受ける羽目になる。
熊本から命令されたミサイルが相手国に飛ぶから。敵基地攻撃力を持とうとし、大軍拡と大増税に進もうとしているから。それをすすめる政権・政治家を代表として選び続けているから。
亡くなった人は帰ってこない。言いたいことも言えない。
ならば、生あるものは。何を考え、何を言わなければならないか。