サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

日本大空襲「実行犯」の告白--なぜ46万人は殺されたのか②焼夷弾

 日本大空襲「実行犯」の告白--なぜ46万人は殺されたのか--の続きです。
 B29により最初のに日本爆撃の予定は1944年11月15日だった。しかしサイパン島に台風がやってきて、出撃は11月24になった。機数は111機。司令官はヘイウッド・ハンセル。
 ところがうまくい行かなかった。
 目標の東京武蔵野の中島飛行場にたどり着けたのはわずか25機。機体のトラブルもあれば、乗組員が進路を間違えるとい未熟さもあった。
 問題は爆弾の命中率。目標の中島飛行機工場に命中したのはわずか7%だった。爆撃隊は、精密爆撃をめざしたが、高度1万メートルから見下ろし、雲も流れる中で、爆弾の多くは工場ではない住宅地などに着弾した。
 最新鋭爆撃機B29をつかった繰り返しの爆撃も、大きな成功は生み出せず、ついに司令官のハンセルは解任された。
 ハンセルは、焼夷弾爆撃に切り替えることにも反対したからだった。
 「市街地住宅地域を含む広範囲な焼夷弾爆撃は承服しがたい」と。
 1945年1月20日、解任される前日に行った爆撃では、川崎航空明石工場の爆撃を命中させ生産力の90%は破壊し、B29の損失はなかったが。
 次に司令官となったのがカーチス・ルメイだった。
 その後ルメイ司令官の下、繰り返しのB29爆撃は行われたが成功といえるほどではなかった。
 日本を降伏さる事を急ぐ米政府は、ついに焼夷弾爆撃に切り替える。その1回目が3月10日の東京大空襲だった。犠牲者は一夜にして12万人。
 その指令は2月19日に発せられた。しかし、その計画や準備実験は早くに行われていた。
 1943年10月に「日本焼夷弾空爆データ」なるものが作られていた。(写真-焼夷弾:ウィキベテア)
 攻撃目標は20都市。各都市の人口、建物の密集度合いを計算し、必要な焼夷弾の爆弾量、その被害予測が分析されている。
 それらの都市の地図には、赤色・最も有効な地域、ピンク・有効な地域、白・有効といえない、に塗分けられていた。
 東京の地図は、実際の東京大空襲と同じ。「東京では、工場、倉庫、住宅などに用いられる建築資材の90%以上が木材であり、とても燃えやすい。木造建築が密集しているため、焼夷弾による延焼率が高く、非常に有効である」と記されてあった。
 実験も行われた。砂漠地帯に日本の下町の住宅街を建設。通りの幅、建物の距離、家の寸法、建築木材、家具や畳まで、東京と同じものを再現した。焼夷弾が屋根を突き破って1階に着弾すると、火がついたゼリー状のガソリンが跳ね上がり、木造家屋が瞬く間に燃え上がり、次々と延焼していく映像も残されている。

動画は、13年の日本の実験
www.youtube.com