「資本主義の次に来る世界」の最後です。
この本、よかった。わかりやすい。
脱成長は土地と人々、わたしたちの心を脱植民地化することだ。
コモンズの脱・囲い込み、公共財の脱・商品化、労働と生活の脱・強化、人間と自然の脱・モノ化、生態系危機の脱・激化だ。
著者ヒッケル氏は、この本を執筆してたロンドンの部屋の前に樹齢500年の栗の木を取り上げている。(写真-ウチの栗の木、今年実か?)
資本主義、囲い込みがまだ始まっておらず、その根が養分を吸い上げている土地が権利書や証書に縛られないコモンズだった頃から、この栗の木は、そこに生えていた。
初期の植民地侵略の船が出航した頃にも、そこにあった。
いくつもの季節が過ぎ、工場の排煙が空に流れ出し、気温が上昇し、自らの葉の中に住む昆虫や鳥が徐々に減っていくのを、木はじっとみていた。
この木は、この先数十年、数百年と生きている間に、何を目撃するだろうか?
それは、私たちだ。すべての失うのも取り戻すのも私たち次第だ。とヒッケルしは結んでいる。
まさにそのとおり。
日々の生活に追われているが、一息ついて、このメッセージを広げなくてはならない。