サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

脱成長 論②

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 実は、下の方の写真。見えずらいですがトンボが何匹も写っています。
 交尾中のトンボも。

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 さて、今日のテーマ「脱成長」
 世界中が、成長、成長と言って煽り、過激な競争を繰り返し、生産し、消費し、廃棄する。
 その為に、人々はあくせく働き、労働時間を伸ばす事で、ゆっくりした生活時間を失ってきた。無限の成長こそ人間の本性である、とばかりに。
 そして経済成長を追求してきたために、地球への環境負荷・エコロジカルフットプリントはとっくにオーバーし、元に戻ることはできない事態になりつつある。
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 無限の経済成長を続けてきた今でも、多くの人々が不足感、実際の不足、不安感は衰える事がない。
 脱成長は、不足や欠乏とはちがう。
 誰もが尊厳を持ち、不安を感じず、友情や愛情や健康を実感して生きて行くこと、お互いを世話し合い、支え合い、余暇と自然を楽しみながら生きて行こうとするのが脱成長。
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 個人主義の弊害。
 単身世帯の問題がある。欧米の世帯構成は単身世帯が多くは2~2.5人だ。これは経済成長にとって都合がよい。
 多くの住居やアパートが造られ、単身、少人数家族が住む。その一つ一つに家具や家電品、エアコン、車などが買いそろえられる。多くの商品を売るための資本主義経済には都合のいい仕組みだ。これは個人的な趣味・嗜好の追求には便利だが、一方で環境負荷の弊害もある。
 エネルギーやモノの非効率な使用、食べ物を分かち合い、家事を分かち合い、互いの世話をする楽しさからも面倒くささ、トラブルや仲直りからも解放されている。
 しかし、他者とともに生きて行く、生きるためのニーズを互いに満たし合う生活は、人類史でつい最近まで行われてきた。共同体的社会。