サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

人新世の資本論⑪ ザスーリチ宛ての手紙

 斉藤幸平氏の「人新世の資本論」のつづきです。まー、学習ノートと思って書いています。
f:id:adayasu:20201004184328j:plain:right 晩期マルクスの変化のきっかけと表すものとして、ロシアの活動家から寄せられた手紙があるそうです。その疑問を発したザスーリチに、マルクスが返答した「ザスーリチ宛ての手紙」。
 ザスーリチは、マルクスの著作がヨーロッパ中心の革命論であることから、資本主義の段階を経なければロシアは社会主義にいけないのかをたずねている。
 マルクスは、資本論の歴史的分析は、「西ヨーロッパに限定されている」とのいうような返事を書いている。それはなんと3回も書き直しているようで、その考察をみれば変化が読み取れるようだ。
 「共産党宣言」のロシア語版の第2版序文で「もし、ロシア革命が西欧のプロレタリア革命にたいする合図となって、両者がたがいに補いあうならば、現在のロシアにおける土地の共同所有(ミール)はコミュニズム的発展の出発点となることができる」と。
 この捉え方は、現在の革命運動についても示唆的な面を持っていると思う。
 高度に発達した資本主義(経済成長至上主義の持続不可能社会)からだけの革命でだけでなく、持続可能な社会的平等な様々な共同体的からも社会主義的の変革の道があるということ…。
 斉藤氏が紹介する「手紙」の草稿で「西ヨーロッパにおいても、合衆国においても[資本主義は]労働者大衆とも科学とも、またこの制度の生み出す生産力そのものとも闘争状態にあり、一言で言えば、危機のうちにある」---の意味は、より一層の生産力の発展が必要という解釈ではなく技術によって自然を服従させ、人間を自然的制約から解放する生産力至上主義が失敗している「科学」をさす、エコロジーの思想とする。
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 資本論の「地代論」のなかで「土地--共同の永遠の所有としての、交替する人間諸世代の連鎖の譲ことのできない生存および再生産の条件としての土地--の自覚的、合理的な取り扱いの代わりに、[資本主義のもとでは]地力の搾取と浪費が現れる」
 手紙のなかで「[資本主義の]危機は、資本主義制度の消滅によって終結し、また近代社会が、最も原古的な類型のより高次の形態である集団的な生産および領有へと復帰することによって終結するであろう」 つまり、「資本主義を最大限推し進めた、その先にコミュニズムが存在するわけではなく、古い協同体的なうちに近代社会が復帰させねばならない要素があるということ。
 このあたりは、キューバを思いおこさせる。のどかで、都市農業を行い、医療も充実しているキューバ
adayasu.hatenablog.com
 一党独裁問題はあるが、そこを解決すれば、小さなのんびりした国は、経済封鎖のため、自給自足・自立経済の環境負荷の少ない持続可能な社会の気がする。
 日本は先進国として、民主主義国として進んでいる国と自負しているが、格差と貧困、自然破壊の開発、過剰労働、家族との時間を奪われる、幸福感が極端に少ない社会となっている。
 過剰な生産、過剰な消費、過剰な廃棄、過剰な地球環境負荷、過剰な情報、過剰な労働、乏しい時間、乏しい幸福感、乏しい希望、、
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 しかし「懐かしの未来」へ、希望は持っている。 
adayasu.hatenablog.com
 
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 でもグレタは希望は語るなと言っている。希望より、行動せよ!と。行動すれば、希望を開けると。