マルクス解体のつづきです。
若い頃に学んだマルクスの理論の中に、史的唯物論があり、社会は法則的に発展するものと教えられた。資本主義から社会主義は不可避な法則で、その革命を早めるために活動するのだと。
社会の進歩は生産力の増大であって、生産関係の矛盾が生産力のさらなる増大の桎梏となり、それを突破する生産手段が別の階級に移行するのが革命、と学んだ。
しかし地球環境問題を学ぶなかで、大量生産・消費・廃棄が問題の原因とわかるなかで、自由で平等な社会主義社会になっても問題は解決しないと考えた。
つまり大量生産・消費・廃棄の社会主義社会は、持続可能でなく、ありえない。
たとえば、人口200億人が豊かで平等な社会は、地球のキャパを超え、ありえないと。
12年前にブログで、資本主義であろうと、社会主義をめざそうと、地球環境負荷のコストを払う経済社会へにしないと、持続不可能と書いている。
adayasu.hatenablog.com
斎藤幸平氏は、P357に「社会主義であっても、人間のあらゆるもの欲求を満たすための生産力を上げ続ければ、それは環境にとって破局をもたらすことになる。より平等な社会が、自動的に、より持続可能な社会だとは限らない」---その通りだと思う。
「地球には生物物理学的な制約があるが、社会的な欲求は潜在的に無限だからだ」--これもそのとおり。
だから現在、それらが顕在化していて、「成長の限界」や「プラネタリー・バウンダリー」や「ドーナツ経済論」などが出てくる。
ところがマルクスは、晩年に行き着いた研究の中で、それを「物質代謝の亀裂」として、洞察していた。このことをMEGA研究の中で明らかにし、「脱成長コミュニズム」として再構築し、提起している。