昨日からのつづきです。「経済」5月号、牧野広義阪南大名誉教授の「マルクスの未来社会論と生産力」について。
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第2に、今、考察すべきは、最新の知見が明らかにしているように人新世の時代、プラネタリー・バウンダリー、ドーナツ経済論など、新しい認識ではないか。
丸い惑星地球に限界があるように、人間の物質生産・経済成長にも限界はあるはずで、今、人間活動がその地球の限界にぶつかっていて、科学者や国連は、人類は破局を迎えつつあると繰り返し警告している。
マルクスは、未来の社会の必然の国の時間においても、人間の欲求に応じた生産が必要だが、それでも無限の生産・廃棄、無限の物質代謝ではなく、自然との調和を説いていると考える。
これは、経済成長主義とは異なり、生産力は量よりも、より質的な発展を描いていると思える。
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牧野氏は、
「未来社会における労働とは、生産者の『協働』(アソシエーション)のもとで、人間的自然にも自然環境にも適合した仕方で、最少のエネルギー消費によって『人間と自然の物質代謝』を共同で規制し、合理的に制御するものです。これによって、資本主義社会とは質的に異なる新しい『生産力』が発展させられます」と書いている。
「もしも、未来社会が『生産力』の発展がない『脱成長社会』とするならば、それは、資本によって歪められた旧来の生産力を引き継ぐことになりかねません」ともあるが、斎藤氏は「生産力」についても「科学と技術」の発展についても言及している。
マルクスの「『人間と自然の物質代謝』を共同で規制し、合理的に制御する」は、無限の経済成長とは違い「物質生産量の脱成長社会」に通じる考え方と思う。
ここで聴涛弘氏の著書「マルクスの『生産力』概念を捉えなおす」を紹介する。帯にはこう書いてある。
「マルクスの『生産力』概念は、今日においては財貨をつくりだす『もろもろの諸力』ではなく、労働量も資源もいかに最少の力で財貨をつくりだすか、
すなわち『生産性』と捉えなおす必要がある。‥‥」
「最少の力の支出で、みずからの人間性にもっともふさわしい労働を!そして自由を!」
なるほど、なるほど。通じるものがある。
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つづく。