サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

科学からの警告と司法の責任② コロンビア最高裁判決-自然自体が権利享有主体

 日弁連シンポのつづきです。
 今回はコロンビアの最高裁判決。和田重太弁護士が報告した。
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 原告は7~25歳の若者で、コロンビア・アマゾンの森林減少が深刻化・激化しているので、その対策の行動計画策定などを政府機関に求めた。
 コロンビア政府はパリ協定に参加し、アマゾン地方の森林破壊を減少させる約束をし、2020年までに減少率をゼロにする、森林減少をさせないと目標を決めていた。
 しかし2016年の森林減少率は2015年比で44%増加した。要因は、不法入植・開墾、農牧業開墾、不法鉱物採取、土木インフラ工事などがあるようだ。
 最高裁は、高裁判決を破棄して若者の訴えを認めた。判断のひとつは、パリ協定を解釈の基準に据えた。
 また、環境関連の条項がたくさんあるコロンビア憲法も判断の基準にした。
 なるほど、なるほど。
 憲法79条には、健全な環境並びに環境の多様性及び完全性に対する基本的人権が規定していある。
 80条には、持続可能な発展を促進するために自然・資源の管理利用計画を策定することを国家に対する委任事項・命令事項にしている。
 95条8項には、国家の自然・資源保護は、市民の権利だけでなく義務であると書いてあるそうだ。すごいなコロンビア。
 判決では、アマゾンの森林減少を抑制しなければ、温室効果ガスの増大のほか、生態系を害し、水資源に悪影響を及ぼし、現役世代及び将来世代の全てのコロンビア人、並びに地球上の全ての人のみならず、生態系、生物に窮迫かつ重大な損害をもたらすと指摘。
  その根本に、自然自体が権利享有主体の考え方がある。人権享有主体性とは、基本的人権が保障される主体であることで、判決でアトラート川を権利享有主体と認めた。
 コロンビア最高裁の裁判官たちは、権利の解釈及び基本的権利の保護形態を進化させる、そんな気概があると和田弁護士。
 すごい。でも、よく考えてみれば当然なこと。自然が健全でなければ人間は生きられない。生物が多様でなければ人間は生きていけない。自然あっての人間であり人権でもある。憲法は、環境の優越的な地位を定めているという。
 基本的権利の概念も、自分自身のみならず地球に住む他の人々や動物、植物の権利も含むとし、「基本的人権」ではなく、人間だけの権利ではないという意味。先住民の考えに近い。
 私も気候危機・地球「環境」問題を考え、同じような思いを持っていた。

 将来世代の環境とは、
①種の結束の倫理義務--自然物は地球上の全ての住人により共有されている。子孫や将来世代も同様に共有している。その自然物が棄損、欠乏が進んでいるので、人類は将来、生きるために不可欠な資源の欠乏に直面するので、人類というで結束しましょうということ。
②自然の本質的な価値--人類は自然の一部であり、自然を構成する一部分は他の部分も尊重しなければならい。将来世代もその一部を構成しているのだから、現代世代は将来世代をしっかりと尊重すべきで、これが自然の本質的な価値なのだからと。
 で、将来世代の環境権が現代世代の自由を制限することができる、ということ。
 今の世代は、将来世代や生物種らの権利を保障する義務がある。なるほどです。