サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

LIMITS-脱成長から生まれる自由③

 自由とは「必然の洞察である」と、若いころ哲学の本で学んだことがある。
 つまり、対象の性質や構造を知り、それに応じた働きかけをすれば、望むことを実現する自由を得られる、ということのようだった。
  ただ今日からみて、どうだろうか?
 この本は、そのことを示唆してくれた。自由に制限がなく、いくらたっても自由を追い求め自由にならない。満足するためには、自由に制限がある事が、自分でその制限を自覚?確保? する事が必要。
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 やはり私たちは、自由とか成長とかの理解について、資本主義的な成長必然思考からから抜けだせずにいるのかもしれない。
 ルール、制限は、日常にあふれていて、私たちはそれを不自由とは思っていない。
 サッカーワールドカップが行われ、フランスとアルゼンチンが決勝戦を行った。
 たくさんの制限(ルール)を不自由とも思わず双方たたかい、最後は、最悪かつ必要な制限(ルール)のPKでアルゼンチンが優勝した。選手も応援者も誰も自由がないとは思わない。
 絵描きは限られたキャンパスで描き、囲碁も将棋も木目の板の上で勝負し、負けそうだらかといって、双方が升目を増やすことが自由の拡張だとは思わない。コートなど空間の制限がないスポーツや芸術、私たちの日常生活だって、ありえるだろうか?
 あらゆる芸術やスポーツがそうなのに、経済活動だけは、果てしない成長、無制限の自由を求めてあえいでいる。これは自由なのか?
 無くしているのは、各人の自由な時間のような気がする。
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 自由と幸福、他者との関係を幸福の内面化する必要がある。