サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

「希望の歴史」Humankind⑦ ホモ・ルーデンス3

 子どもたちが危険すぎることをしようとしたとき、制止するのは当然だろう。もしも‥の場合もあるし。気持ちはわかる。私が子どものころの大人は、どうだったのだろう?
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 私は、子どもらが小学校高学年だったか4人つれて、天草の下田の国道から断崖をおりて、岩場の海で泳いだことがある。しばらくしてから、空模様が怪しくなりカミナリがなりはじめて、心配になって早々に崖を登って戻ったことがある。危なかったかもしれない。でもむかし遊びは、大人抜きでやっていたこと。
 今の子どもたちは、冒険する自由がないと感じる。奪っているのは大人、親、学校、地域‥‥。

 昨日の「ホモ・ルーデンス」の続きです。
 多くの学校では、美化された工場のように運営され、ベルや時間割、テストを中心に組織されている。しかし、「子供が遊びを通して学ぶのであれば、教育をそれに合わせればいいのではないか?」 これ、いい発想。
 そんな考えの学校をつくったシェフ・ドラムメンという校長さんへの取材内容が面白い。
 クラス分けがない。教室がない。宿題も成績もない。教頭先生はいない。いるのは自律的な教師・コーチで生徒たちが務める。学校名はアゴラ。
 学校は、あらゆる年齢ほか、子どもたちを一緒くたにしているという。「社会がそうなっているから」なんですと‥。これも納得。それぞれの子どもは、自分で学習計画をたてるという。
 14歳のアンジェリクは、通っていた小学校が彼女を職業訓練校に進ませたが行き詰ってこの学校にきた。彼女は、韓国に夢中で独学で韓国語を学び留学する計画を持っている。ビーガンでもあり、肉を食べる人を言い負かす議論を一冊の本にまとめた、とか。
 同じく14歳のラファエルはプログラミングが好きで、大学のウェブサイトのセキュリティ・リークを見つけ大学に知らせた。などなど、それぞれの興味関心のあるものに学びを発展させ、自信もつけているようだ。
 この学校にいじめはないそうだ。いじめは、人間の本質的な癖と思われ、子どもはだれでもそうすると思われている。私もそう思っていた。
 でも違うようだ。社会学者のアービング・ゴッフマンは、いじめが蔓延する場所を「全制的施設(トータル・インスティテューショ)と呼び、次のように説明した。

*全員が同じ場所に住み、ただ一つの権威の支配下にある
*すべての活動が共同で行われ、全員が同じタスクに取り組む
*活動スケジュールは、多くの場合、一時間ごとに厳格に決められている
*権威者に課される、明確で形式ばったルールのシステムがある。


 こんな組織は、どこにあるだろうか? 
 刑務所はそうだろうし、カルト団体も、軍隊もそうだろう。多くの働く場所や学校もそれに近い状態にあるのではないか。
 校長のシェフ・ドラムメンさんは、ゲージ式養鶏場のニワトリに例える。
「農家から数羽のニワトリを買った。そして、わが家の庭に放したのだが、ニワトリは釘付けになったかのように、何時間もそこに立ったままだった。1週間ほどたって、ようやくニワトリは勇気をふるって動き始めた」そうだ。
 私たちも、せっせと働き、競争し、モノを捨て環境を破壊する、資本主義社会のゲージに入れられた、鶏のようなものかもしれない。ただ人間には違いないので、言葉が使え、隣のゲージの人と連帯する事はできる。この社会において、ゲージは架空で単なる思い込みなのだから。