布施祐仁著の「日米同盟・最後のリスク」のつづきです。
過去に「あわや核戦争」という重大な危機を、偶発的にも回避できたケースが少なくありません。
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1960年代、沖縄にはメースBという中距離核ミサイルが配備されていました。
キューバ危機の時期、沖縄から米軍の核ミサイルが中国に向けて発射されそうになった事がありました。
1962年10月28日未明、「カウントダウンの命令を入れた厳封のキャンバス地ののカバンが配られた。そして嘉手納から発射命令を告げる赤い電話が鳴るのを待っていた。そのときがきたら、上官が封を破るだろう。中には三つの別々の
命令が入っていて、その後、発射する手順だった。私たちは核の時計が零時を告げる2秒手前にいたのだ」(米空軍ミサイル担当兵士ビル・ホーンの証言)
メースBの射程距離は2000㎞しかなく、標的は3発が中国、1発がソ連だったそうです。(写真:沖縄で核ミサイル・メースBを整備する米兵=1962年4月-米国立公文書館所蔵)
その前の第二次台湾危機の時も、沖縄から中国への核攻撃が行われそうになりました。
1958年の台湾海峡危機に関する極秘報告書によると、「中国の飛行場を砲台を小型核兵器で攻撃する必要がある。国防総省のすべての研究結果は、これが(中国に勝利するための)唯一の方法である事を示している」
「台湾の沿岸諸島の防衛をアメリカの国家政策とするならば、(台湾本島や沖縄の米軍基地への核報復という)結果は受け入れなければならない」と、米軍トップのネイサン・トワイニング統合参謀本部議長が発言しています。
核攻撃機は、フィリピンのクラーク米軍基地と沖縄の嘉手納基地から出撃する計画でした。
現在、フィリピンの米軍基地はなくなっています。
しかし日本には、まだ米軍基地がありつづけ、もしもの場合は、ここから核攻撃が行われかねない事態にあります。
日本への米軍の中距離ミサイル配備計画は、なんとしても阻止しなければなりません。