昨日の続きです。最後に「教科書のない学校」章があり、「教育とは何か」に関わることを堤さんは書いていて参考になる。
GIGAスクールが進めば、授業はオンラインとなり、教室に先生がいらなくなる。法律に規定されている責任や権限のある公務員教師でなく、民間の非正規講師でもいいことになる。
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「タブレットがないと、全部自分の頭で考えなくてはいけない。でもこれ(タブレット)があれば、間違えた時すぐに説明がされて、前に進んでいけるんです」--文科省HPの子どもの動画シーンだ。
答えをネットで検索することは上手になるかもしれないが、自分の頭で考えたり、メモを取ったり内容を理解する能力が育たないことになる。
こんな学校もある。教科書がない学校。和光小学校、堤さんの母校。
先生が考えた教材を数ページ、授業のたびに配り、生徒は授業の最後にファイルにとじるそうだ。
1学期が終わる頃には一冊の教科書ができあがり、授業中に書き込んだ走り書きや計算式や落書き、折り目が着いた一つしかない自分の教科書が残される。
国語の物語はその日のページしか配られず、先が読めない。予習はできない。
授業ではすぐに答えは教えず、みんなに考えさせ、議論させるそうだ。
また、先生は生徒の答えに〇✖をつけず、正しいかよりも、どうやってその答えにたどり着いたかに関心を持つようだ。
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タブレットがあってもいいが、やはり先生がいて人間的な集団的なふれあいで議論し合い、物事を考えていく、そんな教育こそ本物と思う。学ぶためには急がず、子どものきっかけ掴みを待つことも大事。
本来、コモンであるべき教育が、デジタル資本主義の下で利益を生むことを目的にした商品になったらおしまいだ。
堤さんは最後に「私たちが自分で自分の行動を決める『未来を選択する権利』を強調し、「真の危機はコンピューターが人間のような頭脳を持ってしまうことよりも、人間がコンピューターのように考え始めた時にやってくる」と警鐘をならす。「デジタルファシズムを阻止する唯一の方法は、私たちがより人間らしくなることなのだ」と締めくくる。まさにその通りと思う。
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