サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

オリンピック作戦の全貌-⑤原爆投下の計画

 オリンピック作戦は、日本全体の制圧をめざすダウンフォール作戦の一環で、もう一つはコロネット作戦だった。これは南九州制圧のあとは、そこから爆撃機を飛ばして首都東京の制圧、九十九里浜への上陸をめざす作戦だった。
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 今年は、真珠湾への奇襲攻撃から80年目にあたる。重大な過ちは、開戦が原因だ。だから敗戦(終戦)日よりも、開戦日こそ重要だ。しかし、80年目なのに、今のところさしたる特集が組まれていない。これは単に「戦争風化」と片付けていいものだろうか?。日本国民は物事を忘れやすいし、支配層から忘れさせられやすい性格だ。
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 オリンピック作戦の上陸の前には、驚くべきことに、原爆投下も計画されていた。しかも9発も。
 これを中津海法寛さんは、当時の米陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルの録音テープで明らかにした。このテープは米バージニア州にある「ジョージ・マーシャル資料館」に残されていた。本から引用すると、
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 アメリカ軍は広島・長崎への原爆投下に続いて、
 さらに9つの原子爆弾を投下するための準備を進めていた。
 日本本土最南端(鹿児島・宮崎)への上陸作戦に間に合うと考えていた。
 私の記憶では、上陸作戦には、アメリカ軍の3つの軍団が関わっていた。
 上陸する各軍団に、それぞれ3つずつ原子爆弾が用意されるはずだった。
 検討していったのは、上陸する前にまず原子爆弾を投下すること。
 その直後、援軍に駆けつける日本軍にも投下する。
 さらに山をこえて援軍に駆けつける日本軍にも投下する。
 我々の間には、そういった大胆な考えがあったのだ。

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 他にも原爆投下に関する資料が示されている。詳しくは本を買って読んでもらいたいが、少し紹介しておきたい。

 陸軍作戦担当参謀次長のジョン・E・ハとマンハッタン計画の中枢にいたL・Eジューマンの会話だ。日付は8月13日。
 「現在、送り出せる原爆は1個です」「8月19日には投下することが可能です」「9月の初旬には、もう1個準備ができます」「9月中旬~下旬に4個を用意できる可能性があります」など、他にもあり、実施されていたらどんなことになっていたか、恐ろしい限りだ。
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 広島・長崎後、九州への原爆投下計画があった事を、私たちは肝に銘じておくべきと思う。
 日本軍指導部の朝鮮の植民地化、中国やアジア各国への侵略、そして米英らへの開戦の責任は極めて大きい。
f:id:adayasu:20211201153005j:plain:left 負け続けているのにずるずると戦争を引き延ばし、米軍に毒ガス戦や原爆投下まで計画させたのは、軍部と天皇家が国体護持(天皇制)を優先したからだ。
 絶対主義的天皇制・国体維持のため、どれほど国民の犠牲、アジア各国国民の犠牲、米軍などの犠牲があったことか。
 少なくとも敗戦の色が濃くなった時点で戦争をやめておけば、こんなことにはなかった。
 真珠湾攻撃80年の今年、歴史の事実に向き合い、考えるべき時ではないか。

(写真:ウィキペディア--1945年8月6日午前8時17分、原爆の炸裂から2分後のキノコ雲。撮影場所は爆心地から7㎞離れた旧安佐郡古市町(現:広島市安佐南区古市)の神田橋付近。撮影者は広島市衛生課のレントゲン技師、松重三男)