「There Are No Civilians in Japan」というタイトルを中津海法寛さんは紹介しています。
「日本には民間人がいない」が訳文だそうだ。
つまり、本土決戦の際、日本には軍人しかしない。徹底して殺戮して殲滅せよ、という事。
米極東空軍の諜報部隊の参謀が書いた資料が、米空軍資料館に展示されている。以下同HP。
部分的に引用すると、
「日本軍は1945年、武器の下で約450万人の男性から8月までに600万人以上に緊急の動員を受けて急増した。しかし、3月、日本は15歳から60歳までの男性一人一人と17歳から40歳の女性一人一人を含む膨大な追加の戦闘員を拘束した。日本の総人口の約4分の1以上、約1800万人から2,000万人が増加しました。
日本は、この新しい戦闘員の海と残りの民間人を区別するために、制服やその他の目に見えるマーカーを欠いていた。現在、戦闘員の元男性と女性の民間人のほぼ動員された数百万人は、九州の侵略地域になります。
これは、「日本に民間人がいない」という評価を促したものに私たちをもたらします。これは、米国軍人が日本の戦闘員と非戦闘員を区別するための実用的な手段を抹消する日本政府の措置に対する反応を表した。この悲惨な意味合いは、アメリカ人にとって驚くべきことではありませんでした。1942年からアメリカ人は、日本の軍人が降伏を考えられないと考えているということを知りました。
事実上、全滅に近い日本の部隊は、近代史において比類のない記録である消滅に近い戦いを繰り広げた。自発的な降伏はまれでした。多くの場合、囚人は傷や衰弱によって残された日本人だけで、自分の命を奪うには無力すぎました。そして、日本の兵士や船員が降伏の策略を利用して、不注意な敵を殺すという十分な証拠がありました。」
このような判断から、米軍は無差別の機銃掃射で一般市民を殺害し、毒ガス戦を準備し、さらには原爆の投下まで計画していた。 .
写真は、沖縄戦で米軍の捕虜となった少年兵。(ウィキペディアより)
こんな子どもたちが学校で軍国主義教育と軍事教練を受け、死を「美しいこと」と信じ込まされ戦わされた。(ようとした)
多くの日本国民は、これらの事実を知らないし、教えられていない。今につづく権力者は、むろん教えない。
そして今も、強者が弱者に押し付ける自己責任がまかりとおっている。
.
総選挙で勝った自民、維新らが憲法の9条改悪⇒憲法に自衛隊を書き込むこと狙っている。
法律に書いてある自衛隊と憲法に書く自衛隊は全く性格が違う。自衛隊が国会や内閣、司法などと同等の地位になることを意味し、軍事拡大さえ憲法上の要請となりうる。
.
悲劇は、知らなければ、同じことを繰り返す。知らないままでいることは罪をつくる事になりかねない。