昨日のつづきです。
今日は、米軍が毒ガス兵器を使う計画を持っていたことについて書いておきます。
米軍が日本に対して毒ガス……。
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中津海法寛さんは「ペリリュウー・沖縄戦記」から米軍兵士の手記を紹介いる。
「日本兵はじっと地下壕の奥に立てこもり、こちらの攻撃が休止すると、無数に出てきてすかさず反撃に転ずる。戦闘が続くうちに、ひとつまたひとつと、アメリカ兵の遺体もいたるところに転がっていた。あの戦争は狂気だった」
日本軍の指導者は、勝てないことはわかっているので、住民を撒きこみながら、米軍にできるだけ大きな犠牲を与える作戦をとっていた。犠牲が大きければ、日本に有利な状態で停戦できるとばかりの楽観論で。だから東京大空襲、沖縄戦、6日広島、9日長崎の原爆投下があっても降伏しなかった。なぜ?
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米軍を迎え撃とうとする日本軍の作戦は、地下壕を利用した戦いで全国各地に地下壕が作られた。その地下壕の圧倒的1位は鹿児島で1700カ所、2位は広島だが、宮崎、大分、長崎、熊本と、九州が上位を占めている。
熊本にも464カ所の地下壕があるが、人吉・球磨(錦町)の海軍の地下壕基地はその重要なひとつだ。
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一方米側は当然、沖縄戦までに生じた兵士の犠牲を減らすべく、作戦を練った。地上戦は、地下壕潜む日本兵をいかに効果的に殺害するかにかかっているが、参考にしたはの日本軍の中国で行った毒ガス作戦だ。閉鎖系の地下壕では毒ガス兵器が有効であり、米軍は自国の防毒マスクの効果も動物実験をしながら訓練をすすめていた。
もちろん毒ガス兵器の使用は、国際法違反だが日本軍が実際に使ったことを理由に、米軍は使用を計画していた。恐ろしいことだ。
その恐ろしいこと招いたのは、日本の指導者であり、その歴史認識が国民に希薄なことは、なおさら恐ろしいことだ。
なぜ、負けると分かっていたのに戦争を継続し、国民に犠牲を強いたのか?
支配層が戦時と継続していると、一般にそんなことは問われることはない。