サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

オリンピック作戦の全貌-②

 昨日のつづきです。
 米軍が南九州に上陸することに対抗する日本軍側は、主に特攻作戦を展開しようとする。大半の日本軍人は海外に展開しているので、武器を持つのは女と子どもと年寄り中心となる。戦車と機関銃を相手に、婦女子が竹やりで立ち向かう。学校ではそんな軍事教練が行われた。
f:id:adayasu:20211127165945j:plain:w350:right そんな狂信的な軍国市民を相手に米側は、沖縄や硫黄島のような兵士の犠牲を出すわけにはいかず、上陸前に無差別爆撃のほかに、艦載機による機銃掃射で徹底的に一般市民を殺傷していった。
 特に上陸の中心地の鹿児島への攻撃が激しく、小さな農村漁村まで機銃掃射の対象になった。
 (図-爆弾を落とされた量)
 人や戦略物資の輸送の結節点となる鹿児島駅は、繰り返し狙われたようだ。著者の中津海法寛さんは、鹿児島駅で妹を失った中山秀雄さん(91才/当時15才)を取材している。
 1945年7月27日、妹の京子さんは、母親といっしょに鹿児島駅で列車をまっていたが、そこに空襲警報が鳴り、米軍機が爆弾を降り注いだ。京子さんは、とっさに駅構内に走って逃げ込んだ。そこに爆弾が投下され破裂した。しかも1000ポンドの高性能爆弾だった。
 京子さんを含め、構内いた多くの市民が吹き飛ばされ手足や頭もばらばらになった。
 東京大空襲や広島・長崎の無差別の大規模爆撃とは違うが、戦闘機から市民が細かな攻撃対象となった。
   なぜか?
 米国は「日本には一般市民はいない」とし判断し、市民も兵士とみなして殺害の対象にした。
 その責任は、日本軍部にある。
 狂信的にも女性や子ども、お年寄りに武器を持たせて兵士とし、「一億玉砕」の戦法を取ろうとしたからだ。
 この歴史的な事実を最近の多くの日本国民は知らず、認識が薄い。
 それが現在の指導者層を中心とした無責任社会を形作っているといえる。