斉藤幸平氏の本の続きです。
井上恭介氏の「里海資本論」を読み終えて、そして藻谷浩介氏の解説が良かったので紹介します。
里山資本主義の続編的な本なのに、なぜ?「資本論」と?
藻谷氏の解説がおもしろい。
「利潤を目指す自由競争の中で神の見えざる手が働き、経済に均衡と繁栄をもたらす」というアダム・スミス以来の考えに対し、「現実社会では必ず搾取と不均衡が発生してしまう、だから神だけに任せずに人間もそれを防ぐべく努力をせねばならない」と説いたのが本家・資本論だったら『里海資本論』も、「自然界では人為は有害無用、自然(あるいは神)が自ずと均衡や多様性をもたらす」という「一神教的な」発想に異を唱える。
「そうではない、人間も八百万の神の系譜に連なる端くれとして、自然界に均衡と多様性をもたらすことのできる、いや、もたらすべき存在なのだ」と。
なるほど、なるほど。
里海とは、「人間の暮らしの営みの中で多年の間、多様に利用されていながら、逆にそのことによって自然の循環・再生が保たれ、しかも生物多様性が増しているような海」と、藻谷氏。
「風の谷のナウシカ」のト書きに、「この時代、人は海からの恩恵からも見放されていた。海はこの星全体にばらまかれた汚染物質が最後にたどりつく所だったからだ」が出てくるそうだ。たしかに。
プラも化学物質も最後には海に行きつく。
「戦前の大恐慌に行き詰まった資本主義社会が、その後100年以上も命脈を保っているのも、当時沸き起こった社会主義運動の目指した人間回復、公正性の実現という理想を、資本主義システム内部に取り込んで自己変革を行ったからだ。そのような変化をもたらす画期を築いた書物が、カールマルクスの「資本論」だった。
マネー資本主義、新自由主義、人と市自然の収奪、富裕層と貧困、そして地球環境破壊・温暖化。
これに対し、地球の限界内に人間活動を制限し、人間の自然関与が、生態系の多様性に貢献する、そして自然的人間らしい幸福が味わえる社会へ。