堂ノ前の六地蔵というのがあり、大きなケヤキの木がありました。宇城市です。
熱かったので、この木陰の下でハンドマイク宣伝。
よい感じの古いたたずまいです。
ふと横を見ると、石碑が建っていまして、
日露戦後紀会とある。(いや正確に漢字が読めません)
壁面に名前が刻んであったので戦争犠牲者の碑のようです。
この地からもたくさんの若者が国外の戦地に行き亡くなった。悲しい事です。
しかし建立されたときは、英雄として祀られたかもしれません。
こんな碑が全国あちこちにあります。いったいどれくらい?
それほど戦前は、たくさんの戦争をしてきた証拠です。
しかも戦場は日本以外であり、領土拡大・侵略のための戦争です。
最大の戦争はアジア・太平洋戦争。それは明治憲法下のことです。
そしてアジア各国にも、日本軍の被害者としての碑がたくさん建っている事でしょう。
そして、この72年ほどは、全国どこにも、一つも、戦争犠牲者の碑は建っていない。
海外にも、日本にかかわる戦争碑は、ひとつも建っていない。
このことは、諸外国を見ても注目すべき事です。
憲法9条を擁する日本国憲法の下でのことです。