「新興教育運動と田代官次」なる古いパンフが出てきました。
治安維持法犠牲者国賠同盟熊本支部の1996年発効で、梶原定義さんが書かれました。
田代官次さんは1930年代、社会変革を確信し、科学的で自主的な教育実践と侵略戦争に反対した青年教師でした。
今のような憲法の下での自由や民主主義の社会ではなく、中国侵略を開始した天皇制の下、軍国主義と治安維持法の弾圧が激しかったころの事のことです。
田代さんは、小国町で教員として働いていましたが1933年12月、4才と1才の子どもを抱えた妻とともに逮捕され、懲役2年6ヵ月の判決をうけ投獄されました。
戦後、日本共産党の熊本の創立者のひとりとして、また熊本民主商工会の幹部として業者運動に献身しました。また、田代豆腐店の創業者でもあります。
熊本にもこんな人がいましたが、残念ながら知られていません。ネット検索でもヒットしないので、紹介することにしました。