サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

ジラード事件と砂川判決と安保・戦争法案

 1957年、群馬県相馬ヶ原演習場に立ち入って、薬きょうを拾っていた農家の46歳の女性を小銃で射殺した事件が起こった。(検証―法治国家崩壊より)
 犯人の米兵21才のS・ジラードが、薬きょうをばらまいて、「ママサン、ダイジョウブ」とおびき寄せ発砲した。女性は、薬きょうを拾って地金として売り、生活の足しにしていた。
 米側は、公務中の事件として証明書を発行し、裁判権は米側にあると主張した。
 しかし日本の世論が反発し、日本の検察は、公務中でもその行為は公務とは関係ないとして身柄の引き渡しと日本側の裁判権行使を求めた。
 米側は反米感情を恐れ、裁判権の不行使を決め、検察は障害致死罪で起訴した。
 裁判の結果は、懲役3年・執行猶予4年だった。ありえない軽い判決だが、検察は控訴せず刑は確定した。
 ジラードは、2週間ちょっとしたら帰国し、その後は除隊となって自由の身となった。
 実は、裏には密約が存在した。
 裁判権を譲った米側は、「殺人罪など、障害致死罪より重い刑では起訴しないこと」「日本側は、日本の裁判所がなしうる限り刑を軽くすることを、行政当局経由で勧告する」こを条件とし、日米合同委員会で約束していた。
[:W150:right] それらの秘密電文が米国では公開されている。日本では汚点として、知られるべく知られていない。
 これは、田中耕太郎最高裁長官の内通、密約と期をいつにして、今日に続く数々の不幸を作りだしている。で、今日の安保・戦争法案、米国の帝国主義的側面に追随しようとする日本の姿が如実になろうとしている。