戦後70年の来年、天皇・皇后は、太平洋のパラオを訪問するらしい。(熊日記事)
その記事の中でペリリュー島を訪れるとあった。
聞いた事がある島の名前だと、頭をめぐらせると、堀栄三の「大本営参謀の情報戦記」に出てきた島だと思い出した。
米軍に制空権、制海権を奪われ、食糧も武器弾薬の1つも支援がないなか、大半が飢えと病気で亡くなり、戦闘らしい戦闘がなかったニューギニアやその他の島々に比べ、ペリリュー島での日本軍は、陣地を築き、持久戦に持む果敢なたたかいで米軍に大きな犠牲を強いたようだ。
飢え死にも、戦闘による死も、戦いに正義と大義がなければ、戦争指導者による犠牲者となる。
ウィキペディアによれは、日本兵の戦死10,695人、捕虜202人、生存34人。米兵の戦死1,794人、負傷8,010人となっている。
敗戦は濃厚になってきたのに、この戦いから、日本の戦争指導者は、硫黄島の玉砕、住民をまきぞえにした沖縄戦とつづき、時間かせきを目的とした不必要な犠牲者を出していく。ついには、日本全土を焦土と化し、広島、長崎の悲劇へと突き進んでいった。そ責任は、戦争を開始し、指導していった者たちにある。
はたして、何を守ろうとしていたのか? 国民ではなさそうだ。
現在から、見るならば、その悲劇と責任を、教訓にしなければ、犠牲者の霊は浮かばれないと思う。
来年、高齢なのに、あえてペリリュー島に向かわれる天皇夫妻の気持ち、わかるような気がする。この間の天皇・皇后の一連の発言を知るたびに。