サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

絶望の裁判所−本当にあれでよかったのだろうか

 先日の20日(日)、月一度の立野ダムストップの宣伝署名行動を行いました。
 私が写っていませんが、カメラマンでしたので。
 若い人が多く署名してくれました。
 さらに多くの人に知らせて輿論をもりあげ、ダム建設を中止に追い込みたい。

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)

 
 「絶望の裁判所」−昨日につづき引用・紹介します。
 瀬木呂志元裁判官・明大教授は書いています。
 「人権の関する裁判所の感度の高さを示す指標といえる違憲判断の数が〜戦後70年近くを経てなお微々たるもの」と。
 具体例として、ポスティングを住居侵入罪で処罰したり、空港騒音の民事差し止めを棄却したり、一票の格差の判決などをあげている。
 そして瀬木氏自身、悔いを残した判決を明らかにしている。
 沖縄の那覇地裁裁判長として「嘉手納基地騒音公害訴訟」である。
 当時の空港騒音差止め訴訟の最高裁判例は、大阪国際空港夜間飛行差止め等請求事件判決(1981年)
 内容は「空港騒音の民事差止めはいかに騒音が大きくても、また、夜間だけの限定的差止めであっても許されない。行政訴訟ができるかどうかについて当方は関知しない」ものだった。
 当初、瀬木氏ら裁判官は、せめて、重大な健康被害が生じた場合には差止めも認めれるという一般論で、最高裁判例に小さい穴を開けたいと考えていたという。下書きもできていた。
 ところが米軍基地に関する騒音差止め請求を主張自体失当として棄却する最高裁判決(1993年)が出た。
 当時若かった瀬木裁判官らは、疑問をいだきつつも、最高裁判決は正しいもの、従うべきもので、これに抵触する判決できないと、あきらめたようだ。
 瀬木氏は、「本当にあれでよかったのだろうか」と、トゲのように突き刺さって残ったと述べている。