サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

砂川判決、伊達判決、72年政府見解、14年政府見解


 安倍首相は、憲法審査会で参考人全員が安保法制・戦争法案について違憲を主張したことに対し、砂川裁判の最高裁判決を持ち出して、反論を試みている。
 その砂川裁判が何を裁き、何を裁かなかったのか?この際、キチンとさせることが必要だ。
 判決は集団的自衛権に関してではない。
 事は、言葉や論議の争いをしているが、その下で現実になるのは、自衛隊員の戦死にかかわる事であり日本が戦争に関わることを意味する。
 まず、砂川判決の一審の伊達判決、憲法下での在日米軍違憲とした。伊達判決を生かす会のHPから、以下、引用させて頂きます。
  伊達判決とは、
 1955年に始まった米軍立川基地拡張反対闘争(砂川闘争)で、1957年7月8日、立川基地滑走路の中にある農地を引き続き強制使用するための測量が行われた際に、これに抗議して地元反対同盟を支援する労働者・学生が柵を押し倒して基地の中に立ち入りました。この行動に対し警視庁は2ヵ月後に、日米安保条約に基づく刑事特別法違反の容疑で23名を逮捕し、そのうち7名が起訴され東京地裁で裁判になりました。
 1959年3月30日、伊達秋雄裁判長は「米軍が日本に駐留するのは、わが国の要請と基地の提供、費用の分担などの協力があるもので、これは憲法第9条が禁止する陸海空軍その他の戦力に該当するものであり、憲法上その存在を許すべからざるものである」として、駐留米軍を特別に保護する刑事特別法は憲法違反であり、米軍基地に立入ったことは罪にならないとして被告全員に無罪判決を言い渡しました。これが伊達判決です。

 この判決に慌てた日本政府は、異例の跳躍上告(高裁を跳び越え)で最高栽に判断を持ち込みました。
 最高裁では、田中耕太郎長官自らが裁判長を務め同年12月16日、伊達判決を破棄し東京地裁に差し戻しました。最高裁は、原審差し戻しの判決で、日米安保条約とそれにもとづく刑事特別法を「合憲」としたわけではなく、「違憲なりや否やの法的判断は、司法裁判所の審査には原則としてなじまない。明白に違憲無効と認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであって、右条約の締結権を有する内閣および国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねられるべきものである」として自らの憲法判断を放棄し、司法の政治への従属を決定付けたのです。そしてこの判決の1ヶ月後の60年1月19日、日米安保条約の改定調印が行われ、現在までつながっているのです。
 なお、砂川町(現在は立川市編入)にまで広がっていた米軍立川基地は、68年には拡張計画を撤回、69年に日本に返還され、現在は、一部を自衛隊航空隊が使用しているものの、大半は昭和記念公園や国の総合防災拠点となっています。
 伊達判決を覆すための日米密議
 伊達判決から49年もたった2008年4月、国際問題研究家の新原昭治さんが米国立公文書館で、駐日米国大使マッカーサーから米国務省宛報告電報など伊達判決に関係する十数通の極秘公文書を発見しました。
 これらの文書によると、伊達判決が出た翌朝、閣議の前に藤山外相がマ大使に会い、大使がこの判決について日本政府が迅速に跳躍上告を行うように示唆し外相がそれを約束しました
 さらに、大使は本国国務省へ十数回に及ぶ電報で、岸首相や藤山外相との会見や言動を本国に伝えており、また自ら跳躍上告審を担当した田中最高裁長官と会い本件を優先的に取り扱うことや結論までには数ヶ月かかる」という見通しを報告させています。
 このように、伊達判決が及ぼす安保改定交渉への影響を最小限に留めるために伊達判決を最高裁で早期に破棄させる米国の圧力・日米密議・があったことが、米国公文書で明らかになりました」引用終わり。
 最高裁の長官長官・裁判長が、被告側と会って、その意にそう判決を出した。在日米軍を個別的自衛権として認め、憲法判断をさけ司法の責任を放棄した。さらに憲法より米国を上においた。司法の独立もあったものじゃない。
 その在日米軍、他国侵略、ベトナム戦争イラク、アフガン侵略戦争で、どれほどの罪のない人々を殺傷したか、思い起こすべきだ。断じて日本への個別的自衛権ではない。
 こんな裁判長が下した裁判長の判決を、よくまー、集団的自衛権が合憲との材料に使うなー、と唖然とする。
 それほど、この判決の真相が報道されず、一般化されておらず、政治と司法への批判がされてされていないのだろう。主権者が国家権力からなめられている。
 憲法の番人と言われる最高裁憲法の番人でなくなるなら、主権者が登場して、政権も裁判官も取り替える必要がある。