サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

子どもの頃

楠ー「かたでっぷう」(鉄砲)

子どものころは、楠の実を玉にして、いわゆる空気銃で「パン!」とよくやっていた。子どものころ折りたたみ小刀は必需品、10円か20円だったか?いつもズボンのポケットに入っていた。川の淵に竹があるので、「たかでっぽう(竹鉄砲)を小刀で作る。 集落の子…

楠--北岡神社

熊本市春日の北岡神社に大きなクスノキがある、 また明日書きます。明日が今日になったが、今日はもうすぐ明日に。 楠の樹齢は確か、400年ぐらいだったか?。においも独特。 大きい楠なので写真にとったが、よーく見たら、御神木、夫婦厄除、厄払いときた…

カキどろぼう

カキどろぼうと言えば、大人でなく子どもの話。許される子どもの犯罪。成長の一里塚「どろぼう」。 今や大人の仕掛けが必要な情けない子どもの「盗み」の現状。しかも記事は、9年程前。 ウチの子どもたちがたいへんお世話になった「山並こども園」園長の「…

干し柿の失敗

干し柿は何回やっても、ポツポツと黒いカビらはえる。秋晴れの時はいいが、雨が2〜3日つづくと特にカビが…。 天草では「とんぼう柿」と言っていた、とんがった柿が干し柿に適していた。が、ウチの柿木は丸い柿しかなかった。写真は実家の前の「とんぼう柿」…

「ねり柿」行商

むかし実家では、渋柿を何かにつけて2〜3日で「シブ」を抜いておいしく食べられるようにしていた。天草では、それを「ねりがき」といっていた。今は甘柿があるからそんなことはほとんどしない。子どもの頃、母につれられて、「ねり柿」の行商に連れて行かれた…

マツタケ―土の香り

あれはたしかー、学校帰り(小5?)道、通常の道路ではなく、山道を帰って、ランドセルをしょってヤスト少年、マツタケ山ルートで家に…。山の名前が思い出せない。でも取ったシーンは思い出せる。山のてっぺん、人の歩く山の道から、ひょっとしたら…と、左…

盗みの礼儀

マツタケをとりにいく帰り道、みかん畑がありました。季節はみかんの季節。のども渇くし、うまそうなみかんに遭遇。失敬しようと言う事にはなります。誰もみていないし…。 まず、黄色くなっているヤツで、うまそう、だが、しかし、小さいとか、形が悪いとか…

マツタケ-自然林

今の忙しさが終わったら、天草の坂瀬川の木場の山にいってマツタケを探してみようと思う。まず、あの辺りでは、絶滅したキノコだろうから、見つかることはないだろうが…。 もともと松林も人為的に人間か関与してきた林で自然林とは全く違う。一度手をつけた…

マツタケ--なぜ松林は消えたのか?

写真がないのでブログも書きにくい。昔の写真はないし、最近の山の写真もないので絵にならない。 松林がなくなったのは、松食い虫の発生と思う。今、上天草の松島でも、言うならどこでも、松の木が松食い虫にやられて枯れている。理由は分からない。 しかし人…

マツタケー松尾の坂②

松尾の坂で大小さまざまなマツタケをとった記憶がります。その中で、とれずにあきらめての帰り際、山道の側は谷、右側のヘゴの間をひょいと見る、「ひらけ」(かさの開いたマツタケ)が2本か3本か見つけたことがありました。たしか小5の頃で、2本は、あま…

まつたけシリーズ―松尾の坂

木場の「松尾の坂」は、いわゆるハゲ山でその前後に松林があります。その日は、兄貴につれられて行った。小学校の低学年の頃。 左側のあまり高くない数本の松の木にところの斜面に入って、兄貴が両手で松葉のかき分けると、7〜8本のマツタケを発見。小ぶり…

まつたけシリーズ-“じい山”編

今年は、松茸が何故かたいへん豊作らしい。私、この年に及んでも、夢はふるさとのマツタケの再生です。わたくし、実はマツタケ少年でした。天草郡苓北町坂瀬川の木場と言う40〜50戸の集落を囲む小さな山々の多くは松林で、マツタケがよく取れました。 こ…

お宮の下の松の木

子どものころ、家の上の高台に高くて大きな松の木があった。よくトンビがとまっていたのを覚えている。大きな切り株が残っていたのも覚えているが、どうやら松食い虫にやられたらしい。おそらく今から40数年前だろう。写真はさらに古く、公民館に飾ってあ…