サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

伏龍特攻隊-海底の少年飛行兵

f:id:adayasu:20200817140507j:plain:left 8月、この時期、戦争関連の本を読むようにしている。中古本で買っていた「海底の少年飛行兵」-海軍最後の特攻・伏龍隊の記録(門奈鷹一郎著)を読んだ。
 戦争末期、海軍の空を飛ぶはずの特攻隊に入った少年らは、潜水服で海底に潜む訓練に明け暮れることになる。
 本土決戦で上陸してくる米艦船を、5メートルの竹につけた機雷で船底を突いて爆破しようとする人間機雷だ。
 特攻兵器は、多くの種類がある。その中でも実効性がゼロに等しい、しかし訓練も厳しく、事故が多発して若い命を犠牲にしたのが「伏龍」。「海底に、伏せて、攻撃する龍」ということか…。
 この本は、「伏龍」部隊を体験した門奈氏が体験をありのままに書いてあり、貴重な記録となっている。
 米軍の上陸を迎え撃つ本土決戦の前に、日本が降伏し、「伏龍」の実戦はなかった。しかし、実戦があったとしても戦果ゼロ・犠牲多大であっただろうことは誰でも想像がつく。
 かなりの速度で走ってくる上陸用舟艇を、人間が海底から機雷のついた竹棒でどうやって突くのか?。
 そもそも粗雑で危険な潜水具をせおって、50メートル間隔で何百人と海底に潜む…。
 起爆させると海中下、他の隊員も巻き添えを食うからと、50メートル間隔を取るとなっているが、それで済むかどうかも分からない。
 愚かも愚かな考え…。しかも機雷も製造できていない。
 野比海軍病院には、3~4日に、1~2~3人と、訓練事故による急患が運ばれ犠牲になった。潜水具の呼吸で出た二酸化炭素を処理するための苛性ソーダをトラブルで飲み込み、口や食堂、胃までタダれて死に至った。
 笹野大行 71嵐突撃隊実験隊長は、「私も一緒に潜っていましたが、多分、7月のことで、浦賀のペルリの碑の前に天幕を張って潜水実験をしていました。海岸から沖合に1000メートルの索を張り、逆U字型にして歩行する、つまり往復2000メートルの潜水歩行を初めてやることになったのです。~~その時の犠牲者は8名と記憶しています。遺体があがったのは3体か4体、残りは発見できませんでした。全行程を歩かず、途中で浮上して助かった者も何人かいたようです。その時潜ったのは17、18名のように思います」と語っている。
 でも当時は、真面目に(あるいは半分不可能と思いながら)作戦を考え、危険な訓練をし、犠牲がでても、突き進んでいった。異常の中の正常。そんな犠牲を国民や軍人に強いておきながら、敗戦になったらさっさと米国の言いなりになって、今日に至る政府・指導者たち。
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 日本の歴史と伝統の中で最大のものは、「責任あるものが責任をとらない」と言う事。犠牲は、下に押しつけ、ウヤムヤにし、記録も残さない。責任をとらない、責任をとらせないので、国として、社会としての教訓にすべき教訓が教育になりにくい。なので、それは今日に引き継がれている。
 「特攻」=特別攻撃隊。➡ここにゴマカシがある。名実ともに「自爆攻撃」隊だ。中東などでの自爆攻撃と本質的に変わらない。(一般市民を犠牲にするテロとは違うが)
 しかも効果もほとんどなく、いたずらに戦争を引き延ばし、犠牲だけを大きくした。
 この時期、戦争は語られるが被害体験が中心で、①戦争責任を問う事 ②対外的な侵略戦争を問う事の問題は、避けられている。それに多くは気づいておらず、その意味で戦争は終わっておらず、条件がそろえば繰り返す。
 この本で言えば、上部の責任を明確にする告発に欠ける。
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 当時、事態を正しく知り判断して行動できれば良かったが、認識不足で分からないで進んだ事はすくなくないだろう。
 そして今、現在の事、分からない事も少なくないとすれば、過去を歴史を知り、現在の認識にする事はできるだろう。
 それをしないなら、怠慢に近いかもしれない。 歴史の勉強、、しよ~っと。