今日の「朝日」8/12に寄稿された政治学者の豊永郁子氏の「ウクライナ 戦争と人権」を読んだ。
中見出しで
「犠牲を問わぬ地上戦 国際秩序のため容認 正義はそこにあるのか」
「個々人の命の重み 和平を望む声」 とある。
私もウクライナ戦争の軍事的な動きに関心があり、動画で兵器の性能や機能、爆撃の映像などを見たりする。
戦車や装甲車が爆撃されるたびに、ロシア軍であれ、乗っている人が吹き飛び、焼け焦げにされむごい事なっただろう想像する。悲惨ことだ。殺し合いはやめた方がいいに決まっている。
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でも、豊永氏の考えは、なんというか、わかる気はするのだが、どうも違和感がぬぐえない。
侵略し、民間人を含む殺戮をやっているのは、ロシア軍の側であって、ウクライナ側ではない。
戦わざるを得ない地上はウクライナの土地であり、召集された人々もそこに住む人々であり、爆撃の標的になって亡くなっているのは、ウクライナの民間人であり、ロシアの民間人は死んでいない。
氏の考えは、端的に言えば、ウクライナは抵抗せず、ロシアに降伏して国民の命を人権を守るべきだ、と言うものだろう。
抵抗せず占領された後は、平和で民主的で平穏な暮らしが保障されるというのだろうか? チェチェンのように、別の国との戦争に動員されることもないのか?
どうも、侵略戦争を遂行した日本と、侵略に対し、抵抗しているウクライナ側を、戦争一般として同一視している印象だ。
紹介されているのは、大戦中のナチスのプラハ空爆の脅しをチェコの大統領が受け入れ、ドイツへの併合を認めたこと。フランスのパリは「無防備都市宣言」を行い、無血開城してナチス占領を受け入れたこと。そのために街は破壊されず、犠牲も出さずにすんだというものだ。
それぞれの判断がどうだったのか単純ではないだろうし、将来も含む犠牲はどうだったのか?、、わからない。
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では仮に、先の日本軍の大陸侵略に対し、中国側は抵抗ぜず、降伏し、国民の命を守るべきだったのか、、あの三光作戦をづづける日本軍に。
ソ連もイギリスもヒトラーの侵略を受け入れ降伏し、ナチスのヨーロッパ征服を容認し、米国は手を出さず傍観したほうが良かったということだろうか。
ベトナム戦争でベトナムは抵抗せず、米軍の侵略を受け入れるべきだったと。
そうやって正義を放棄すれば、命と人権が守れると…。そんな風にしか読めないのだが‥‥。
現在、不十分ながらも確立している侵略戦争を違法として許さない国際秩序を、やぶって構わないことにならないか?