サスティナビリティ考

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安倍寛−反戦唱え、翼賛選挙へ

 昨日のつづきです。

安倍三代

安倍三代

 上記、青木理著から引用・紹介します。

 安倍晋三首相の父方のおじいちゃんの安倍寛は、現代にも通じる内容、しかし当時としては驚くほど進歩的な公約を掲げ、最下位ながら当選を果たした。
 つづく1942年4月、日中戦争の泥沼化、対米戦争にも突入した東条内閣の下で行われた衆議院選挙でも、安倍寛は当選を果たした。
 1940年には、多くの政党が解散し合流した国民総動員・国民統制組織=大政翼賛会ができ、その推薦、選挙資金提供による選挙が行われた。。
 推薦した候補者は466人。当選率8割。推薦基準は、
大東亜共栄圏確立の理想に燃える人物
②大政翼賛、挙国体制強化に熱意を有する人物
③旧政党的弊害である地方的、職域的な利害を脱却している人物
 安倍寛は、東条内閣に真っ向から反対し、翼賛会の推薦を受けず、無所属で立候補。特高警察の尾行、監視などの妨害を受けながらのたたかいだった。演説会では、「弁士注意!」−官憲の大きな声にかまわず演説し続けたようだ。
 そんな中でも当選できたのは、地域の信頼が絶大で、それにたがわぬ人物だったようだ。ただ病弱で、戦後の最初の選挙、これからという時に51才でなくなった。
 一人息子だった安倍晋太郎は…。


安倍首相、もう一つのDNA