サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

よって、被告人を死刑に処す

「裁かれるのは我なり」のつづきです。

 「よって、被告人を死刑に処す
 「これで仏も浮かばれる!」と、傍聴席から叫んだ者があった。
 私が宣告されたとしたら、あなただったら、どう?思っただろうか。
 袴田「被告」は、ガクッと肩を落としたらしい。
 裁判を、裁判官を、信じていたからである。
 袴田事件の元裁判官だった熊本典道さんは、単に、死刑宣告の判決文を書いただけではなかった。
 「付言」を書いた。

 ぜひ、文を読んで下さい。
 読む人が読めば、裁判官の間で判断が分かれていると、わかるらしい。
 確かに、付言では、捜査のあり方に厳しい批判を向けており、自白や証拠に対する疑念を呈している。ならば有罪への疑念が生じていることになる。
 熊本元裁判官は、3人の合議で、2人多数決に従い死刑の判決文を書かざるを得なかった。しかし、2人の裁判官と争ってでも「付言」は譲らなかった。
 それは、高裁の裁判官に気づいてもらえると、信じたからであった。
 でも、それは実現しなかった。さらに熊本元裁判官の苦悩が深まった。