「裁かれるのは我なり」のつづきです。
2人が死刑判断、熊本裁判官が無罪の判断。熊本裁判官は、2人の先輩裁判官と、激しく議論をした。
しかし多数決に従わざるをえない。心にもない判決を書かざるを得ない。憲法で保障された良心の自由が、他人の死に関わる問題なのに、裁判官にはない、事になる。最高裁でなくても、少数意見が明らかになってもよいはずだ。
「付言」で捜査の問題点を厳しく書き込み、控訴審での無罪判決にかけた思いもあった。
熊本裁判官の悩みは、司法修習生の間でも話題になったらしい。
そして修習生らは、賭けをしたらしい。
熊本裁判官が「判決文を書くか」それとも、「書かずに裁判官をやめるか」
5人対5人で半々だったらしい。
(もちろん金銭なし)
高裁が始まった。そこでは、1年後に味噌樽から発見された衣類が袴田被告のものかも争われた。
そして一審でやれなかった再現実験が行われた。
袴田被告のものとされたズボンを袴田さんははけなかった。
小さすぎたからだ。検察は、味噌づけで縮んだと主張、結果、認められ、棄却された。
熊本元裁判官の願いは実現せず、更に、袴田被告とともに苦しむことになった。
問題は検察が、たくさんの証拠の中で、有罪に都合のいい、しかもでっち上げの証拠だけを裁判所に提出し、無罪を証明する証拠を提出しないからだ。
それが認められる制度が、長期間拘留と合わせ、冤罪の温床、撤廃が必要だ。
ところで、
一連の流れを天国で見ていた被害者は、どう思っただろう。
親子4人、いきなり殺されて、さぞ無念だったろうし、筆舌につくしがたい事件だ。
ならばなおさら、被害者は本当の犯人を処罰してほしいと思うだろう。
それが、誤認逮捕で、違法・拷問による自供と証拠の捏造で、無実の人、会社の職員を投獄し、死刑判決で苦しめたなら、それこそ、被害者もうかばれないだろう。
この本、本当に考えさせれれました。おすすめです。
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