昨日のつづきで「2月11日」を考える熊本県民集会。
今こそ“戦争国家への道”にはっきりNOを! 平和であり続けるための覚悟とは何か
「集団的自衛権をめぐる国際情勢と日本の行方」と題した伊勢崎賢治東京外国語大教授の講演が行われました。
もともと主催者とは、憲法9条を守る考えが共通とはいえ、異なる立場の講演者です。ので「他流試合」的なものとのあいさつもありました。
もちろん色々と学べました。しかし、せっかくなら「他流試合」風に、質疑のやり取りを重点にした方がお互いの勉強になったと思います。
伊勢崎さんは、テレビなどでのコメントの印象通りの話でした。アフガンのISAFなどで武装解除などの活躍をされたそうで、基本的には米国の立場でテロリストに対処する立場のように思えました。
時間不足で2人しか質問できませんでした。そのうちの1人として私も質問。
「米軍のよる『無人機』攻撃の実態は?、この攻撃を行う米軍をどう思うか? 罪のない人を殺すことこそテロではないか?このテロとどう闘えばいいか?」と聞きました。
答えは、1人のテロリスト殺害に家族など巻き添えをくう人が60人ほどいるが、無差別の砲撃でなくなる住民が多く、現地の人はどう判断するだろうか?と言うようなものでした。
それはどうでしょうか?「罪のない人を殺害するのは、どんなものだろうと非難されやめさせるべき」と私は思います。
しかも無人機攻撃をする兵士は、危険な戦場ではなく、安全な米国本とにいて、相手国の女性や子どもも殺りくした勤務の後は、自分の子どもたちと家族の団らんにつつまれることになります。
誰だって同じような慎ましやかな団らんに、ヘルファイヤーミサイルを打ち込まれ、家族を無残に殺されたならば、報復は認められ、次の攻撃を防止するための自衛のための反撃は認められることになるでしょう。
彼らにはミサイルもなければ正精密誘導爆弾もない。反撃もできなければ、自衛もできない。
無人機攻撃を許しているのは、私は税金を払っている米国の国民だと思う。また無人機攻撃を行っている兵士の家族だと思う。
ミサイルに小型のカメラをつけて、爆発後も一部始終2〜3時間でも動画をネット配信できるようにしたらと思う。
現実に起こっていること、起こしていることを起こしたもの国民と家族が知るべきと思う。
過去ブログ・米国の無人機のよる民間人殺戮