サスティナビリティ考

地球環境、持続可能、政治・経済・社会問題などについて書いています。 メール kougousei02@yahoo.co.jp

テレビ国家−石田英敬

  小泉旋風が政治も社会も支配した頃、月刊誌「論座」で見つけた石田英敬教授の「テレビ国家」論は、非常に興味深く読んだ。
 今も、この「テレビ劇場型」政治はつづいている。
 劇場政治が比較的前向きな展開だったのは、脱ダムなど長野県知事田中康夫劇場ぐらい。あとは、ほとんど社会を後退させる害悪劇場。
 直面しているのはハシモト劇場。現状を許せば、橋下劇場下で大量の橋下チルドレンを生み出し、「八策」の「信任」で自由と民主主義を、制度的にも大衆心理的にも、奪いかねない。
 ある社会の支配的なイデオロギーは、支配者側のイデオロギーだが、矛盾が際立った状態が続く中なのに、有効な対策をうち出し得ない問題がある。つまり変革主体勢力がメディア活用で遅れをとっていると言うこと。
 私としては現在マルクス主義が、こういった問題の分析と理論構築への取り組みを急ぐべきと常々思っている。
 ネットこそ、私たち社会を変えようとするものが、支配層よりも主導的に活用すべき新しいコミュニケーションツールと思う。これは今後に述べるとして、まずテレビ劇場の問題。
 石橋氏は言う。  テレビ国家のクーデター

 「コイズミの政治力とは、政治を『スペクタクル=見世物』としてプロデュースし演ずる力である」と。「コイズミの政治技術とは、政治課題(アジェンダ)とテレビと通して流通させる『物語』の「話題(トピック)』に書き換えること」
「改革を行うコイズミ政権という主人公と、それを妨げる『敵対者』(守旧派抵抗勢力)という図式にそって、主人公、敵対者、依頼者、受け手、援助者といったロールプレイが組織された『物語』に慣らされた。政治の物語化は、メディアを通した『象徴支配』の仕掛けなのである」

 今、支配は、「象徴=イメージ」の中心になっている。

 テレビは利潤につながる視聴率を追いすぎる。視聴率稼ぎには、話題、過激、泣き、お笑いが手っ取り早い。だから橋下氏も、絶えず過激な事をいい、東国原氏はお笑いをして注目させる。
 劇場政治家は、テレビに露出・活用して支持率を稼ぎ、テレビはタレント政治家を起用して視聴率を稼ぎ利潤を稼ぐ。「改革」のイメージ。権威主義に委ねる「安心」のイメージ。
 いわば共犯関係。テレビ界にも、真面目な番組をつくり真実を分かりやすくつたえようと努力している人も少ないがいる。真実を知ろうとしている視聴者もいる。両者のコミュニケーションの広がりが課題と私は思う。 
 そもそも国家とは何か?歴史的に何をしてきたか?現在何をしているか?
 ①「支配者の強制装置」 ②「戦争し自国民も他国民も著しく傷つけた(TBS運命の人見ながら)」 ③「原発つくり事故を引き起こし、責任も賠償もほどほどに、再稼働を急ぐ。水俣病拡大もしかり」だ。